「史記」は、中国の前漢時代に、司馬遷が編纂した有名な歴史書です。
皆さん、ご存知の方も多いことでしょう。
この「史記」の中に、次の様な逸話があります。
秦の時代に趙高という高官がいました。
当時趙高は、高官として皇帝をもしのぐ権勢を誇っていました。
趙高は、時の幼少の皇帝に、これは、「馬です」と言って、鹿を献上しました。
しかし皇帝は笑って、左右を見渡します。
ところが、居並ぶ側近の重臣達は、趙高の言動を見て、それを鹿だとは誰一人言いません。
皆、恐れおののき、口々に「はい、馬です」と述べ合ったといいます。
恐れ、おもねる者たちが、強い権力者を取り巻く社会や組織の中では、「黒い」ものも、「白い」ということで、通ってしまうことなのでしょうか。
「鹿を指して馬と為す」の慣用句は、この故事から生れたと云われます。
「誤り」を,「誤り」とは言わず、どこまでも強引に押し通すということです。
私達が住むこの社会に目をやってみましょう。
そこには、いろいろな多種・多様な組織や人が取り巻きます。
強い力があります。権力が働きます。
それが縦割りであろうと、横割りなものであろうと、そこに自分が入り存在する以上は、少なからず、その圧力がのししかかってきます。
目を転じてみますと、私ども身近な職場、学校、組合、サークルなど、はては国の政治や国家間においても同じことがみられます。
その中で、こと問題が提起された時、あなたは鹿を「鹿」と答えますか。
それとも「馬」と答えますか・・・・・・。
大変、難しいところでありましょう。
小生、私が歩んできた人生この道は、前者の「鹿」と答えさせて下さい。
しかしその後には、少々の苦難が控えており、それも覚悟でした。
私、これからも同様、あらゆる事態に接し、こと調和をもって正直に答え、皆様に信頼される余生としていきたいものです。