気づいたら私も前厄の年
厄というのは本厄になってからだと落とすのが大変なんだとか
だから厄年になる前の年に落とすのが一番良いそう
私の場合
気づいた時には前厄になっていたので
本当は去年厄を落としておくのがベストだったのだが、
幸いにもまだ前厄、ギリセーフだろう
厄落としと言えばやはり高野山
呪術的な力を使うのが“なんか効きそう”
という安易な理由で調べてみると
節入りに「星まつり」があり
これが厄落としに効くというではありませんか
色々調べていくと南院さんの波切不動尊が良いよなんてお話をいただいた
せっかくなんで現地まで赴こうと思ったのだが星まつり中の宿泊はできない
とのことで前から気になっていた「湯の里お水の宿このの」に宿泊することにした
これが大当たりだった
思わずその場で次回の予約をしたほど良かった
何が良いって水が甘い
特に金水、銀水、銅水を混ぜた水が何とも言えない甘さがある
甘露ってこれのことなんじゃないかと思った
もう呼吸しているだけで口の中や喉が甘い
甘さって人を優しくするんだなと思った
思わず宿の感想を書いてしまったが、
高野山にたどり着く前には
伊勢神宮や二見、香良洲神社、大神神社、丹生都姫神社にも寄っている
元々伊勢と二見は計画にあったのだが、
香良洲神社、大神神社は予定外で
岩戸館の女将にご紹介いただいたのでこれもご縁と思い行ってみることにした
もろもろ後で分かるのだが、
今回の旅は「供養」というものがテーマになっていたと思う
みえる世界はみえない世界に支えられているが、
歴史も同じで、生きている我々は亡くなった人達の数多の想いに支えられている
時に願いが成就し幸せに亡くなることもあるが、
無念を抱えたまま亡くなっていく方たちも多い
故人の冥福を祈る
当たり前のことだが普段のんべんたらりと生きていると
ここへの意識は皆無に等しい
それが高野山にいくと、
みえないものへ意識が否応なしに向けられる
亡くなった人というのは分かりやすい一面だが、
感情の供養なんかもその一部であろう
祈りの力の凄まじさ、
それを密教的なシステムに落とし込んだ凄さ
法力だけでなく自然の力も活用しながら
供養しているなと感じた
こりゃ街中ではできんわなとも思ったし、
龍などを個人の願望達成のために使うのはなんと小さいことかとも思った
せっかく手伝ってもらえるなら大きなことに働いてもらった方が龍も本望だろう
そんなことも含めてこの場所は供養なんだなぁとなんだか納得してしまった
超個人的な厄落としのために行ったのだが、
あっさりと私の想いなんか煙散霧消と化した
今回参拝した神社もどこか影があるところがあり、
そこはやはり供養の側面があるのかもしれない
力のある神社ほど悲しみの歴史もあるのだから
両方に心を寄せて統合していくというのもあるのかもね
肉体的には田辺温熱保養所にいった時点でかなり疲れが噴き出して、
岩戸館で安静にし、このので完全に復活した感じだった
それぞれの施設に感謝です
食べ物部門では寿司松岡が圧倒的だった
それでは今年も良い年にしましょうね
ばーい