スピリチュアルな方々が使う言葉で

「ひらく」という表現がある

 

「ハートをひらく」

「チャクラをひらく」

「身体のパスをひらく」

なんて使い方をするのだが

 

はじめてこの表現を聞いた時は

何言ってんだこの人と思ったのを覚えている

 

ひらくには

「開く」

「拓く」

「啓く」

「披く」

と様々な意味があるが

わたしは特定の漢字をあてない方が

スピリチュアルな表現としては適していると感じている

 

そして

全てにおいて「ひらく」ことができるのが覚者である

 

人間以外にも

動物にも

植物にも

鉱物にも

ひらいている

それが覚者だ

 

ただ

「ひらく」ことができたら同時に

「とじる」こともできないとなにかと不自由だろう

 

ひらくべき時にとじてはいないか

とじるべき時にひらいてはいないか

 

その時々で自然な状態が作為なく行われているか

こういう当たり前のことが当たり前に行われている

そのことが自然なのである

 

抵抗がないからあまりに日常過ぎて

通り過ぎてしまう

それぐらい自然な状態の中に

本当のスピリチュアリティがある気がしている

 

何かにかこつけてお願いすることや

パワーでひらいていくことではなくて

 

何ができるわけではないけれど

そっと心を寄せるような在り方が

祈りに通じているような気がしている

 

分かったような気になってしまっている時が

一番人の話をきいていないし

 

何かを探している時は

全然向き合えてない時だったりする

 

日々どう過ごすのかという部分を

2025年は大事にしようと思う