11年前にヨガを始めた
その時先生が「今はインスタントな時代」と話していたのを覚えている
当時はランニングブームからヨガブームに移り変わっていった頃で
ワンレン!
朝活!
スムージー!
といった具合に
ヨガが分かりやすいファッションのアイコンになっていた時代だった
誰でも2週間の合宿でヨガの先生になれることを揶揄して
先生は「インスタントティーチャーばかり」と話していたのだ
これは全てのことに言えることで
AIが身近になったことでこの流れは加速した
調べるとなんとなく納得してしまう情報が一番手前に出てきて
深く調べることもなくみんな同じ説明をする
共通の理解はできたが
浅い部分で脳が満足する
簡単に満足してしまうものだから腹落ちせず
身体の方まで血が通わない
いつも頭ばかりの短期記憶
その場では上手く説明できるが
知っているだけで「できる」ところまでいっていないのだ
これは昨今のコンサル業界にすごく似ている
情報を調べたりまとめたり説明するのは上手いのだが
そこに実が伴っていないのだ
新卒でも教育制度がしっかりしているので
ベテランと同じ作業が出来ます!
とかなんとか言われて面白そうと就職して
実際に1年目でお客様の前でアドバイスするのだが
それは生きた知恵なのではなく
テクニックなのだ
これは非常に説明が難しいのだが
発想がデジタルなのだ
間違えたら消せる
修正が簡単にできる
それゆえに軽い
ここだけ直せば良いんですよね!
といった具合で緊張感がない
緊張感がないから集中力も育たない
集中力を必要としなければ
当然効率を求めるようになる
効率を求めるとマルチタスクになっていく
携帯で連絡しながら
パソコンもみて
場合によっては2画面で作業といった具合になる
マルチタスクになっていけばいくほど
効率は上がるが臓器にエネルギーが溜まらなくなる
茶道を一回でもかじったことがある人は分かると思うが
右手で蓋をあけながら左手で抹茶を入れるなんてことはないのだ
作法に“ながら作業”はない
昔は家と職業が密接に結びついていた
家に入る前に外で修行してこいなんて当たり前で
それを丁稚奉公と呼んだ
丁稚に入ることが霊的な修行になっていたのだ
民芸品でもなんでもモノづくりに携われば
デジタルのように簡単に消すことはできない
一つ一つの作業に意味があり
意味を知るとその重要性が分かる
これは料理も同じだ
味を決めずに何度も何度も調味料を足していくと
舌の感覚は鈍っていき、繊細な味はでない
プロは味をバチっと決める
その味が看板となる
決めた味が変わると味が落ちたと言われる
そんな繊細な作業が仕事と結びついていたのが日本だ
また仕事を通して身についていくのはなにも技術だけではない
身体の使い方やモノの捉え方
所作や美意識といったものを通じて
霊的な能力を伸ばしていたのだ
そしてそれを各家に残していた
今はどんどん真逆なものになっているように思う
仕事を決めるにも「お金」、「休み」、「やりがい」
がトップを占めているがこれは本来の日本的な発想ではない
風の時代と言われて久しいが、
風が巻き起こるには水と火が混ざることが必要で
水と火が生まれるためにはベースである地が必須である
台地というのは一隻一兆ではできない
色んな層が重なってできている
武術の世界では功夫(クンフー)という表現がある
功夫は身体に現れる
同じ動きをしても功夫がある人とない人は見れば分かる
ダンスを知らなくても見ていて「コイツ素人だな」と分かるのと同じだ
いくら言葉が上手かったとしても功夫は必ず所作に現れる
これからどんどん新しいコンセプトや説明が分かりやすい人が現れてくると思うが
本当に求められるのは功夫だと思う
1000の言葉よりも1の波動で全てが変わってしまうように
波動とはその人の背後に宿る
つまり生き様がのるということだ
本当にインスタントな生き方ばかりをしていると
軽い人間になっちまうぞということ
同じ言葉を話したとしても人によって質量は変わる
軽い人間の吐く言葉はどこまでいっても軽い
それは軽やかなことは全然違うのよね