今しあわせなことに気付きましょう。

 

これは本当にその通りで、気づける人はどんどん気づいたら良いと思うのだけど、それと同時にしあわせとは感じてない自分も出てくる。

 

もしそうじゃないのだとしたら、それは虚構の世界を生きているといえよう。

「しあわせに生きること」と「しあわせを感じること」は違うのだ

 

仮に頭だけでここを突破しようとするなら、「今自分が持っているものを数えましょう」という小柳ゆきの方向に行かざるを得ない。

 

もちろん数えることで意識の転換が起こる人は「頭のコース」で十分なのだが、いくら数えてもしあわせと思えないし、感謝も湧いてこないという人もある一定数はいると思う。

 

むしろこっちの方が多いのではないだろうか。現代ではそれが正常な反応だ。

そして、ここから先に行くにはある種の意識の転換が必要になる。

 

アファメーションしたり、何度も何度も角度を変えながら感謝したり、昨日と似たようなことを数えてみたり、毎日無理やり身体の奥からじんわりくるようなことを探したり、あんまりノッてないのにノートに書いたりして感謝探しの旅に出るのではなくて、文字通り「転換」が必要なのだ。

 

マスターと呼ばれる人たちに会ったことがある人は理解してくれると思うが、マスターは行き先を分かっている。だから明確に目指すべき場所に案内してくれる。

 

周波数や波動という言葉でしか説明できなくて申し訳ないのだが、「ここを見るんだよ!」「ここに行くんだよ!」と、先に意識状態を作ってくれるのだ。

 

意識状態ができると、マインドが連れてきた不要なものが分かるようになる。そうすると本当に必要なものがみえてくる。

 

多くのワークで呼吸を使うが、呼吸は次元を跨ぐ扉の役目をする。呼吸はマインドにとらわれない意識と出会わせてくれる。

 

この意識状態を知らずして頭でワークばかりやっていても、それはハウツーで終わる。呼吸でさえも「やり方」に落とし込んでしまえばそれは扉にはならず、ハウツーに成り下がってしまう。

 

「今」に入ろうと思っても入れないのと同じで、意識状態も入ろうと思っても入れない。

 

マスターに頼らずとも自分の本質はしっかり行き先を分かっている。

 

マインドは「大変でしたね、どうぞこちらでゆっくりとお休みください」と色々提案してくる。自分が一番言って欲しい言葉も、自分ができなかった体験もお見通しなのでそれらを使って誘惑してくる。


マインドがもたらすものは非常に魅力的で、ついうっかり心地良くなったり、怒ったりとエンタメにハマってしまう。

 

ではどうするか。

 

自分の中に本質の領域もあればマインドの領域もあることを知ること。両方あって、自分の中に全てのことが同時に存在していることを分かること。

 

そして本質だけを目指してマインドを無理やり消そうとしないこと。捕まえて燃やしたりしなくていいから、流れてくるままにしておくこと。

 

そうすれば来るものはやがて去っていく。例え去っていかなくてもそれもまた良し。

 

ただ共に在る。

 

転換して意識の拡大が起こるといつでもこの状態に帰ってこれる。
意識のコースに進むと、自然と感謝は湧いてくるし、泣けてくる。

 

だから頭だけで突破しようとしないで、身体も感情も全てを使っていこう。

では今日はここまで。