多くの人は愛がやってくると幸福に感じ、憎しみがやってくると不安を感じる。

 

だが両極を知る人は例え憎しみがやってきたとしても失望はしない。

愛があれば憎しみもまた必ず生まれることを知っているからだ。

 

両極を知る人はつねにくつろいでいてやすらかだ。

 

だから愛していない時に愛そうと頑張ったりはしないし、どんな憎しみも作り出したりはしない。ものごとは来て、ただ去っていくことを知っている。

 

それは呼吸に似ている。

呼吸をすることでそこに無極が現れる。

 

常に力強いわたし、常に希望に満ちたわたし、常に前向きなわたしでいようとすればするほど無極からは遠ざかる。一定のかたよった自己を保とうとする時、呼吸もかたよる。

 

吸う息が長く、吐く息が短ければため込みすぎてしまう。

反対に吐く息が長く、吸う息が短ければ受け取るものは少ない。

 

そんな自分の癖が呼吸にはあらわれる。

自らの両極を許してそれを十全に味わえば味わうほど呼吸は長く穏やかになる。

 

吸う息と吐く息と、その間に現れる無極。

 

それはほんの一瞬。

0.1秒にも満たないその時。

 

そこには善人も悪人もなく、生まれた時から持っている純粋で無垢な魂が現れる。

そして、この瞬間だけはすべてのことを忘れている。

 

嫌いな人や好きな人。

痛みや、辛いことや、悲しいこと。

あれこれ欲しがる欲望もこの瞬間は忘れている。

 

だから、

ずっと嫌いなわけではないし、

ずっと好きなわけでもない。

 

ずっと痛いわけじゃないし、

ずっと辛くて悲しいわけじゃない。

 

ずっと愛の人で居続けているわけでもないし、ずっと憎しみの中にいるわけではない。

 

呼吸を通して毎回純粋で無垢な自分に出会っている。

両極を知れば無極に出会う。