今回でソースシリーズは最後になります。

 

これまでソースについて語ってきたわけですが、いかがでしたか。思っていた内容と違っていましたかね。

 

「ソースとつながろう」と書くとまるで普段は源とはつながってないかのような印象を受けますが、つなががっていますよ、常にね。

 

「でも私エネルギーに満ちてないし、リソースも活用できていません!」と思われるかもしれませんが、それでもつながっています。つながりが弱いとか強いとか、つながる時間とかね、僕は特別意識しなくて良いと思っているんですよ。ソースって常にそこにあるものですからね。

 

ですので、そこにあることを思い出す時間を作ったら良いと思うんですよ。

武術や舞や茶道なんかをやっている方は分かると思うのですが、一つ一つの仕草、瞬間瞬間の動きの間にソースとつながっていることを思い出せる時ってあるかと思います。

 

疲れているけど稽古に行ったことがある人は、稽古が終わると整っていた経験があったりしませんか?一つの型を丁寧に行うことも私たちにそういったことを思い出させてくれるきっかけになります。

 

中国茶には聞香杯といって、お茶の香りを感じるための器があるのですが、聞香をしてお茶を飲むのと、聞香をしないでお茶を飲むのとでは豊かさが変わるんですよね。

 

「香りを聞く」と書いて聞香(もんこう)。香道の言葉でもあります。

 

香道は最後の習い事ともいわれていて、お茶もお花もいろいろ経て、最後に学ぶのが香りなんですね。香りはなくても普通に生きていくことはできるけど、なくても良いことに気をまわせるということは豊かな証拠でもあります。香りは豊さと直結し、かつみえないものですからエネルギーのことを考えるヒントが沢山あるのです。そして香や煙というのはあちらの世界とも繋がっていますしね。

 

火を点け、香を立て、手を合わせる。

一つ一つの動作に始まりがあって終わりがあります。

 

「何かをしながら何か」ではなく、

「流しながらやる」のでもなく、

一つ一つ完結しているのです。

 

私たちの一日も一日一日を完結して過ごしているかどうかがすごくヒントになります。毎日ちゃんと死んでいるか。やりきっているか。次があるからいいやではなく、瞬間瞬間完結し、そして毎瞬毎瞬出会っているのか。そのように過ごしていければ本来つながろうとか思わなくても良いのですけどね。

 

何かをしながら別のことを考えていたら目の前のこととはやはりちゃんと出会えてない訳ですよ。そして誰かと比べていたらいつまでたっても自分の道に入っていけません。

 

掃除一つとっても今日やりきったと思ったらそれはそれで最高の一日じゃないですか。今日やるべきことをやる。そして、今日やるべきことをどのような意識でやるかは自分と自分の関係のことで、他の人は関係ないのです。だからいつでも自分だし、いつでもソースとの関係でもあるんです。

 

この前、熱海でおいしい和食屋さんに行ったんです。

そこにはもちろんテレビなんてありませんから、出てくる料理と毎回向き合うわけです。すると自然に満ちて元気になって幸せな気持ちになるんですね。ここにもやはりソースを感じることができます。そうすると微笑みますし、感謝が湧いてくるんです。

 

こうやって毎回毎回料理を食べれたら良いですが、私たちはすぐ忘れてしまいますから、たまに思い出す時間をもったら良いですよね。

 

表情もやわらかくして、「自分である」という自己主張も脇に置いて。それをそのまま受け入れたら良いです。ちゃんと受け入れることができたら、「あぁ、受け入れてないのは自分のせいだった」ということが分かりますからね。

 

そうすると許せてない自分、監視している自分という、もう一人の自分が解けていきます。

 

空間にもとけていくと、時間も空間もない世界の入口へといけますよ。

 

そんな瞬間が増えてくると鳩尾がゆるんできて、誰かに何かを教えてもらわなくても、今必要なことに目がいくようになりますから。ずっとつながっていなくても、一瞬のつながりを感じるだけで大丈夫だなって思えますからね。花が咲くように自然にね。

 

ということで、長い長いシリーズの終焉です。

何か皆さんが持ち帰れるものがあったなら幸せです。

 

では。

また会う日まで。