ありとあらゆる流派で呼吸は要とされ、大切にされている。
呼吸を注意深く観察すると、自分のリズムがわかる。
無理やり吸ったり、無理やり吐いたり。
思考がうるさければ呼吸音もうるさくなる。
焦った呼吸。
無理やりゆっくりしよう頑張っている呼吸。
自分のリズムは毎日変わる。
環境に影響されるのだ。
その時、その瞬間の自分のリズムを感じとる。自分のリズムの中でくつろぐことができたら、呼吸は静かで、吸う息と吐く息の境はやがて消えていく。
その「状態」になるというのは、まず意識が外から内にベクトルが変わること。
そして、今度は意識を拡大して自分のリズムをみつける。
そのうち外と内の境がなくなり、そう成る。将棋の駒が成るように、変わるのだ。
慈しもうとするのではなく、慈しみそのものになる。味わおうとするのではなく、味わいそのものになる。感謝しようとするのではなく、感謝そのものに自分が成っているのだ。行為と状態が一体化する。
そうすると湧いてくるものがある。向こうからやってくるのだ。
ベクトルを切り替える時に、呼吸を観たり、脈を感じたり、茶を慈しみ、味わったりすることで行為と状態が一体化する。境がなくなると自動的に向こうからやってくる。
今この瞬間に入ろうと思っても入れない。
頭で理解しようとすればするほど遠ざかる。
そのものになるからわかるのだ。
わからないというのは頭なのだ。
頭はパワー。
頭はコントロール。
頭はハウツー。
頭は説得。
頭は判断。
頭は損得。
頭は行為。
頭は社会を生き抜いていく時に大事。
そしてそうじゃない世界も同じぐらい大切。
異なった二つが出会うためにね。
考えるべき時に感じるな。
感じるべき時に考えるな。
行動すべき時に感じるな。
全部のバランスよく使えるようになると、ひらくものがあるんだぜ!