ちょっくらコロナにかかってましてね。体温39~38度を彷徨っていました。中々しんどかったですよ。

そして、その二日前に中学の友達と久々にzoom飲み会があったんですよ。楽しかったんでしょうね。ビール一缶とワインボトル二本を一人で開けてしまってね。たぶん翌日の二日酔いの時にどっかでもらったんじゃないかなと自分では予測しています。

 

お酒は嗜む程度が良いですね。今回痛烈に思いました。

 

 

さて、最近こんなことを相談されました。「自分の中に苦労しないと幸せになれないという観念を発見したのですがどうやって脱して良いか分からない」という話です。

 

 

これ結構相談されることがあるテーマです。ご自身の中に信念や観念をみつけたのにそれを持ち続けてしまう場合って往々にしてあると思うんですよ。そういう時って執着している自分に気づけるチャンスだと思うんです。むしろそういうのが好きなんじゃん私!ってことでもあるんですけど・・・

 


みたいな説明をついついしてしまいがちなんですけど、多分これを相談してくる人には納得していただけないでしょうね。だって手放したいけど手放せないって悩みなんだからそのままで良いよ的なことを言われてもモヤモヤしちゃいそうですもんね。

 

 

でね、そういう時に聞くのが「とは言え、一日の中で幸せを感じる時間ってあるの?」という質問。そうすると大抵の人は「ある」って答えるんです!それは寝る前の読書の時間だったり、お風呂の時間だったり、食事の時間とか人それぞれなんですけど、全く幸せを感じないって人って今までいませんでした。

 

 

そして次に聞くのが「その時間は苦労しないと手に入らない時間なの?」と聞くとそうでもないと。ということはだよ、「幸せ」と「苦労」が本当はなんの関連もないということをすでに知っているということなんですよ。

 

 

でも「幸せになること」と「苦労すること」という価値観がどっかでくっついてしまった。この価値観同士が癒着していることに気づくと、「苦労しようがしまいが幸せとは関係ないじゃん」が腑に落ちるので手放せるんですよ。体験上もうできているし、知っていることですからね。

 

AとBがくっついてしまっているがゆえに、何かを目指したり、何かにあろうとしたりするんです。自分の中で当たり前になりすぎて気づいていない価値観同士の癒着に気づけると新たなステージに行けます。

 

今日は僕から一つ投げかけをしておきます。

「自分自身であること」と「幸せ」は一緒のことでしょうか?

 

では。

 

 

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