私のターニングポイントは紛れもなく沖縄に行ったことなのだけど、実はそれに至ったきっかけの日というのがあって、今振り返るとその日こそが本当のターニングポイントだった様に感じる。

 

 

今から九年ほど前、私は新宿三丁目にある小さな広告代理店に勤めていた。

電機メーカーのパンフレットや企業の社内報を作るのが当時の私の仕事で、日々締め切りに追われていた。

 

 

なんだか目指していたCMプランナーにもなれなさそうだし、しかたないから遠回りではあるけどコピーライターで実績を積もうと、この会社に入り直したのだけど、コピーを書くよりライターの仕事が多くて、自分の行き先を見失いつつあった。そして、ただただ必死に仕事をこなしていく毎日を送っていた。

 

 

その日も取材したテープの文字起こしをして、記事をまとめるという作業をすることになっていたが、悪友から飲みに行こうと電話が来たので早々に切り上げることにした。

 

 

当時の私たちは20代後半、悪友はバンドで売れるきっかけを掴めずにいた。お互い人生が思い通りにならないモヤモヤした気持ちと焦りを抱えていたように思う。そのせいか二人ともとにかく酒癖と態度が悪くてよく飲み屋を出禁になっていた。

 

 

正直仕事はつまらなかったし、毎日なんで働かなきゃいけないんだと思っていたし、そのくせ俺にはもっと才能がある!と謎の自信だらけだったし、こんなに働いてこれしかもらえないのかとも思っていたし、飲み代にほとんどお金を使っていたのでいつも貯金はなかった。

 

 

仕事も好きな人にはとてもやりがいのあるものだったろうに、プライドが高く、クソみたいなモノの見方をしていたので、文句ばかりだった。そんな生活を続けていたら次第に何をみても輝きを感じられなくなっていった。だんだん色んなことが楽しくなくなって、いつも似たようなパターンと日々を繰り返した。そして外側に刺激を求める刹那的な生き方が板についていた。

 

 

その日も人を馬鹿にしながらつぶれるまで酒を飲んだ。朝方、悪友の携帯に電話がなって、その音で目が覚めた。

 

電話は同じ長野出身の後輩の彼女からだった。

 

はじめはスケベな笑いを浮かべていた悪友も電話に出るとみるみる血の気が引いていった。

どうした?と聞くと、大きなため息の後に「なおやが死んだ」とぽつりと言った。

 

『え?なんで?なおやってまだ26歳とかそこらだろ?』

 

「分かんねーけど、居酒屋の前で倒れたらしくてさ、発見された時には死んでたって。今遺体が警察にあるみたいで、死因不明だから解剖されるみたいで、この状態で会えるのが最後だから来てくださいって。」

 

 

どうやら彼女は誰に連絡したら良いか分からなくて、よく話に出てきた先輩である私たちに電話をかけたらしかった。

 


警察にいくとなおやのお母さんとお父さんが長野から駆けつけていた。そしてその隣にはなおやの彼女がいた。もっと他にもいっぱい人がいるかと思ったけど、いたのはその三人だけだった。そこに“仲が良い先輩”の私たちが加わった。

 

 

最近はあんまり遊んでなかったからここにいることがなんだかとても場違いな感じがした。だけど同時にこんな時にここに呼ばれていることに対して不思議な縁を感じていた。

 

 

遺体をみると悪友は今まで見たこともないぐらい号泣し出した。それを見て、「うぉ!コイツめっちゃ泣いてるっ!」と思って私は全然泣けなかった。

 

夕方になると落ち着いたので悪友と二人で店に入って瓶ビールを頼んだ。

二人だけで献杯をして、なおやとの思い出を話した。

 

その間私は会社から何度か電話があった。締め切りがあるからほっぽり出してきた記事を今日中に仕上げろということだった。

 

「すまん、俺会社帰るわ!」と告げると、友達は「お前、こんな時も仕事すんのかよ」と吐き捨てるように言ってきた。

この言葉がふいに心に刺さった。

 

会社に着いた頃には夜になっていて、みんな帰った後だった。その中で一人パソコンをつけて記事をまとめていたら、なんだか分からないけど涙が溢れてきた。悲しいとかそういう感情はないのに、ないはずなのに、目から涙が出る。このままだと涙でパソコンが見えないから、一旦作業を中断して悪友に連絡した。

 

『おい、なんか涙が止まんねーんだけど』

「おせーよ、今頃。お前感情凍りすぎなんだよ」

 

みたいな会話をして電話を切った。そのあとに「俺こんな時に何してんだ?」とふと今までの全てが切断されるかのような感覚に陥った。猛烈に虚しくなったのだった。こんなやりたくもない仕事を毎日して、仕事しても金なくて、何やってんだろ?と急に冷静になった。でもいくところもないし、身動きはとれないけどどうしていいのか分からなかった。

 

この日が私のターニングポイントだったなと今考えると思う。

 

この後、世の中の仕組みや親を逆恨みしていくことになるのだけど、こういう人のせいにする時代を経て、自分の生きていく道というのを少しずつ舵を切っていけるようになった気がしている。

 

 

この時の自分がやって良かったこととか、こういう考え方に変えて楽になったとか、そんなことを今お伝えしている。このあとにもターニングポイントは沢山あるのだけど、一個話せるとしたらこの時の自分のことかな。

 

 

だから、毎日昨日のコピーのような日々を送っていたりだとか、中々現状から抜け出せないとか、そういう時にした方が良いことって言うのは、あの時私がやってきたことなんだよね。ただそれだけなんだ。

 

 

今苦しい人たちも絶対抜けられるから大丈夫だよ。では今日はここまで。

 

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