ありのままみるというのはなんと難しいことか。

 

今日お昼にカレーを作ったのですがね、これが意外と美味しくできたので、もうすぐにペロリですよ。

 

そして洗い物をしようと鍋をみたら、その美味しいカレーがスプーン一杯分残っていたんです。

皆さんがもしこの状況になったとしたら何を思いますか?

 

「あと一口カレーが食べれる」と思うのか、

「もう一口しかカレーが食べれない」と思うのか。

 

どっちでしょうか?

 

実はこれってどっちも偏った見方なんですよね。

 

ありのままみるっていうのは「鍋にカレーがスプーン一杯分ある」で終わりです。

 

なんだかとても味気ないように思えるのですが事実はこれなのです。

 

今回は例えがカレーでしたが、これが人間関係になるともっと複雑になります。

 

 

今度は恋人がただ黙って部屋に座っていたらどうでしょうか。

 

「あれ?怒ってる?何か悪いことしちゃったかな?」

「おーい、大丈夫?」

「いつまで黙ってんの。うざ!何かの仕返しのつもり?」

「ねぇ怖いんだけど。気になるから!」

「エネルギーバンパイアじゃん」

 

とかリアクションは様々だと思うのですが、これって全部妄想の世界の話なんですよね。

事実は「恋人が部屋にいる」ただこれだけです。

 

人間が二人いて、ただ呼吸している。

これだけのことなのに「ただ在る」ということができない。

 

「共に在る」、これだけで満足できないから、皆妄想の世界へ突入し、マヤカシ山への登山を開始するわけです。


「わたしは愛されていない」

「絶対浮気している」

「優しさを感じない」

 

事実を事実としてみることができずに、時に拡大解釈してみたり、斜めからみてみては「あ、これってこう言う考え方もできるんちゃうん?」と勝手にストーリーを作成していく。

 

男女の話を聞いていると「うん、君はもうミステリー作家になった方が良いかもしれないよ!」っと思う人もたまにいます。

 

まだ起きてもいないことを妄想して、一人で不安になってはストーリーに飲まれていく。

そうなった時は、直ちにそのマヤカシ山から下山するべきなのです。

 

今起きていることはなんなのか事実を把握すること。

そしてそれはすぐに対処できることなのか、すぐには対処できないことなのかを整理すること。

 

すぐに対処できないことなら今考える必要がないことなのだから、そのことに時間を割くことをやめること。

すぐに対処できることは行動すれば良いのです。

 

僕が好きな本にこんな文章があります。

 

感じるべき時に考えるな

考えるべき時に感じるな

行動すべき時にひるむな

 

よく思考を使うなと聞きますが、仕事で即決せにゃならん事態の時にエネルギーを感じている場合ではないのです。

何でもかんでも感じてるのではなくて、その時その時に相応しい在り方があるのですね。

 

この文章は今自分が何をする時なのかを思い出させてくれるとても素敵な文です。

 

 

まぁ趣味で登山する分には良いですけどね、家に着くまでが登山ですから、登ったらちゃんと下山しましょうね。笑

 

 

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