あーやです。


山野ジェーンさんからご縁をいただき
この度、障がいのある方が暮らしやすい地域社会をつくる鳥取県あいサポート運動の「あいサポート大使」に就任いたしました。









本日、鳥取の会場にはたくさんの方が駆けつけてくださいました。ありがとうございました。気がついたら私、泣いていて、自分でもびっくりしました。

・・・
“私のこの両手で 何ができるの?”

私が「Jupiter」の出だしを書き始めたあの頃
自分とは何なのかを探していた時期だった。

楽しい自分、落ち込んでいる自分
明るい自分、暗い自分
いったいどれが本当の私なのだろうと。

すると母が言った。
「どれもあなたなのよ。いろんな自分がいていいの。ありのままの自分を愛しなさい」と。

この思いを抱えていた頃
時代は、9.11が起きた2年後であり
世界はまだまた混乱していた。

ラブソングでデビューする予定だったが
どうしても踏み込めずにいた。

同じ時期に、あるドキュメンタリー番組で知った
プロジェリアという難病を抱えた女の子
アシュリー・ヘギちゃんとの出会いがあった。

「生まれ変わっても、また私に生まれたい。
私が私であることが好きだから」
この言葉も、私を暗闇から救いだしてくれた。

この思いが伝えられるような歌を歌いたい。
混乱している世界中の心が
少しでもあったかくなるような、そんな歌。

何度もメロディを書き、何度も歌詞を書いた。

そこで出会ったのが
ホルスト作曲の「木星」だった。

ジャズ科でサックス専攻だった大学1年生の私は
クラシックの授業も選択していたのだ。

聴いた瞬間、涙が溢れ
ずっと探していた人に会えたような
なつかしいような、不思議な感覚におそわれた。


・・・
“私のこの両手で 何ができるの?”

自分のできる事は何かを探しながら
これからも生きていくのだと思います。

平井知事、鳥取の方々、山野ジェーンさんはじめ
誰かのために生きている人たちがいて
その心の輝きに触れた時
言葉には出来ない想いが
溢れてくるのかもしれません。

「つらい時ほど、人のために生きなさい」
今日も、母の言葉を思い出しました。