平塚勝 は太平洋戦争間近の昭和14(1939)年に16歳で日本陸軍航空士官学校に55期生として入学しました。
彼の日誌を紹介します。どのような生活を送っていたのか参考にしてもらえれば幸いです。
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【関連リンク】
「修武55」航空士官学校55期生卒業文集>」
平塚勝太平洋戦争手記
 空を愛した男の死闘譜
 涙の戦闘隊部隊全滅(飛行第78戦隊記録)
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記事中 太字は指導教官等からの朱書き。?は判読不可能部分
昭和14年(1939年)

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11月26日           日曜日    快晴

陽光春のごとき光を浴す中、10時まで就床。
其の後、1週間の勤務の準備をす。
風は相当冷たくなれり。昨晩、低空飛行の音聞えしが、東側飛行場に不時着せんとのことなり。

 

11月27日           月曜日    晴

舎内外の大掃除をなし10時40分より中隊長殿野の御巡視を受く。12時終了。
午後に運動、排球をなす。敵の虚を衝けば必ず勝つも、衝かんとするが思うがごとく衝けざるなり、また球の来りんとき、肯て手を出さざる者あり、之は全く負けるもとなり。

 

11月28日           火曜日    晴

剣術素養検査、基本に於いては充分になし得んと信ずるも、試合なんとなく気合抜けして特にやられたりとは思わざりしも敗れたり。無念無想となり得ざりしによる。
中隊長より猶一層気合を充実すべし、我々の剣術は敵を斬るの剣術なり大技に一刀の下に斬るが如くせよとの訓示あり。
予の感ずるに第2区隊最も元気なかりしが如し。見ても甚だ気持ち悪し。胸のすくが如きのは極く稀なりき。
其の後兵器の手入れ、損傷の記入をなす。痕だらけなり。
予科より携行せし襦袢、袴下、編上靴を返納す。他区隊との連携うまくいかず。1,2区隊早く準備終わるも員数全部揃わざる為に遅くなれり。区隊内の此の際の動作、支持せざるとも思うごとくなりて甚だ愉快なり。中に2、3動かざる者あるも。斯くして将来の無言の連絡はなさるるならん。

 

11月29日           水曜日    晴

ことごとに喰い違いを生ず。一生懸命になししつもりなるも未だ誠意不足なるか。
兵器検査、配列に5分の遅れを生ず。報告によれば、第2区隊最も遅れしものとされたれど実際上は検査開始13時まで、第2区隊一番早く準備完了せしを見る。食後に手?して行はせし整理走行せしなり。唯「此で好いのだ」との感を以って他区隊を見る。任を全うせし嬉しさ。しかしなれど表面には“不完”と現れしものなれど。斯の如き故に益々愉快なり。
区隊長殿 検査要領猶々上手くなられんことを祈る。
俺のやる通り俺の言う通りやるんだ   文句言うな
練習機通信筒投下2度、何事かありしならん。無事なるを願う。
夕映えの芙蓉、明日を期す

 

11月30日           木曜日    晴

午前中、学用品・学科の準備をなす。
午後教練。徒歩教練、区隊長殿の講評にもありしかども始めて気持よき行動を見たり。教練終了後駈歩をなすも非常に疲れたり。嘗て戸山ヶ原の射場より完全武装にて連続駈歩をなしたりしも。
団結団結といいて他中隊に於いては他区隊と球戦をなし殆ど喧嘩の連続なりしを聞知す。考えざるべからず。対立すべからず。
真意を知れ  末に拘?する勿れ

11月も終わりを告ぐ。明日より正規の課業

 

12月1日             金曜日    晴

学科開始。初めての為ならんも1時間半は短き感。
基本体操、1時間。
学生隊入校式自16時、歩騎砲兵より転科せる者非常に多し。
昨年入校式のありし日、今日も予科にては新なる門出の式ありたるならん。予科は過去なり。現在は現在、将来は将来なり。

 

12月2日             土曜日    晴

9時より予防接種。本日のは先日のに比し甚だ強し。汗をかき胸痛む。