新興国の幸せな野犬~ヤンゴン市街の野犬たち | 世界で遊ぼう楽しもう

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この10年くらいで海外旅行はかなり身近になり
飛行機さえ乗れば、国内より安く、また国内ではなかなか体験できないプチ冒険もできちゃいます。
このブログは、小さな冒険の情報源になれればと、なるべく有名観光から外れたものを紹介していきます。



ミャンマーには10回以上行っている。


初めて行ったのは2011年くらいか、街の景色は当時とはだいぶ変わってしまった。


サクラタワーのHITACHIの看板は、ATMすらなかったミャンマー系の銀行の看板に替わり、ジャンクションシティのような綺麗で大型の店舗ができた。
9時も過ぎれば暗かった街は照明も増え、渋滞は年々ひどくなった感がある。
 

そんな中で変わらないものの一つが「野犬」

とにかく市街のいたる所にいる。


大きさもけっこうなものだ。

タイや他のアジア諸国でも野犬はよく見かけるが、ミャンマーの野犬の数は断トツな気がする。





子供の頃、野良犬をよく見かけた。

捨て犬や、もともと野犬として生まれ育った犬がいたのかも知れない。



小4のある日、公園で友達と遊んでいると野良犬が現れた。

中型の白い犬だった。
その犬は自分たち子供を見つけると追いかけてきた。

初めは怖かったが、だんだんそれはジャレているということがわかった。

人にジャレてくるし、首輪をしてたから飼い犬が逃げ出した(考えにくいが…)か、捨てられたかだろう(たぶんこちら)。


それから数日した頃、近所の友達があわてて家にやってきて「犬が車に轢かれた!」という。


見に行くと、例の犬が血を流してぐったりと道端に座り込んで、血のおしっこをしていた。


その友達の母親が、見かねて家から消毒液を持ってきて治療してくれていた。

…この友達のお母さん、見た目はジャイアンの母親みたいで怖めだけど、凄く優しい人で僕ら子供には好かれていた。



当時、親の会社の小さな平屋が50軒ほど建ち並ぶ、社宅に住んでいた。

アパートと違い、ちょっとした庭や物置小屋もあり、狭いながらも一軒家の快適さはあった。



おばさんは、犬を毛布に包んで抱き上げ、ウチでは飼えないけど、とりあえず治るまで物置小屋に置いてあげると言った。


それから毎日、友達の兄弟と自分とで、ご飯をあげたり看病したりして、2週間くらいすると犬は元気に回復した。


しかし、問題はそれからだった。


うちも友達も社宅住まいということもあり、犬は飼えない。
夜勤がある会社だったので、吠える犬は禁止。
飼うなら屋内で、という決まり。


親も飼ってくれる人を探してくれたが、野良犬の成犬など、誰も引き取ってはくれない。


犬は、俺か友達の家の庭に住み着くようになった。


ご飯は残り物などを、どちらかの家からもらい、下校してからは、犬をかまって毎日遊んでた。


犬は凄くなついてきて、どこかに出かけると後を付いてきた。
そろばん教室で習い事してる間は、外で待っていたりして、忠犬ハチ公みたいでかわいかった。



でも、綱もつけていないし、飼われているわけでもない犬をよく思う人ばかりではない。
そんな日も長くは続かなかった。



2ヶ月ほどした頃、小学校から帰っても犬は庭に居なかった。

しばらくして、また友達があわてて家にやって来て「犬が捕まった!」という。


近所の人が、犬が放し飼いになっていて危ないと、社宅の管理部に連絡したらしい。
管理の守衛係が犬を捕まえ、保健所に渡すことになったようだと。


今考えれば、しごく当然の成り行きだろう。
狂犬病やその他の病気もだが、誰かに噛みつきかねないと(実際にあの犬にはありえないが…) 思う人がいて普通だ。




俺と友達は、犬が捕まっている会社の正門まで見に行った。

門の内側に繋がれていて、近くには行けなかったが、自分たちを見つけた犬はしっぽを振り、嬉しげに鳴き声をあげた。


自分は、その姿が哀れで見ていられず、直ぐに家に帰った。


共働きの母親が帰ってきたので、犬のいきさつを話し、なんとかならないかと相談した。

母親も困っただろう。

子供の自分がいうのも何だが、母親もかなり優しい性格だ。
子供の願いを受け止めてあげたいと思ったに違いないが、どうにもならない。

「保健所で新しい飼い主を探してくれるから大丈夫よ」

母親も苦しかっただろう。

それが嘘だと子供ながらにわかったが、同時に母親の気持ちも目を見ればわかる。

もう何も言えなかった。


翌日、犬は保健所に引き取られたそうだ。
柵のついた車に、他の野犬といっしょに押し込まれて鳴きながら連れていかれた…と友達が悔しそうに言った。


それから犬がどうなるのかを、俺も友達もわかっていた。

賢くない小学の中学年でも、野犬が殺処分されることくらいは知っている。


あの犬の元飼い主は、元愛犬がどうなったか気にもならないんだろうか…?



物凄く悲しかった。
物凄く悔しかった、今でもはっきり覚えている。



それがトラウマになり、俺は成人になるまで生き物にかかわるのを避けるようになった。


そして、日本では野良犬は生きることすら許されないのだということを思い知らされた。





ミャンマーの狂犬病の死者数は681人と先日、愛猫を動物病院に連れて行ったときのポスターあった。


東南アジアでも高い数字だ。


だが、ヤンゴンの街の犬たちは、誰に邪魔がられることもなく、自由に空き地で昼寝し、歩道を闊歩する。



ヤンゴンに行くと必ずトレーニングに行くラウェイのジムがある。

カンドージ湖の近くで、その辺りの空き地には画像のように野犬の子犬たちが群れて遊んでいた。

みな元気で楽しそうだ。


エサは…というと、街のあちこちに犬のご飯が置かれている。

皆で餌を与えているようだ。
仏教でいうところの「徳を積む」ために。


「徳を積む」とは、「良い行いを重ね、いつかはその良い行いが自分に帰ってくる」という考えで、ミャンマーのような熱心な仏教徒に根付いているものだ。



近くに鶏を放し飼いしていても、襲う必要もないくらいご飯は足りている。


そんなミャンマーの野犬は、一見すると幸せのようにも思える。




数年前、ヤンゴンに行った時のこと。

夜、ホテルから街を眺めていたら、急に野犬の群れが現れた。


と、大きなタイヤが軋むブレーキ音と『ギャン!』という犬の鳴き声が一瞬響いた。


通りを渡ろうとした一匹の犬が車に轢かれたのだ。


犬はほぼ即死したようだった。
道に横たわる1m近い大型犬。


すると仲間の犬たちが近寄ってきて、周りを囲み遠吠えを始めた。

5匹いや、もっといたかも。


その鳴き声は、悲しみのようでも、怒りのようでもあり、しばらく周囲は異様な雰囲気に包まれた。


ヤンゴンの犬も決して安全な所に住んでるわけではない。

野犬だって街で生きていくのは命がけだ。
だから危険を感じれば攻撃もやむ無しだろう。


そして狂犬病をはじめとする病気。


現在のところ、野犬の対策や動物の殺処分などはされていないとのこと。
仏教国であるゆえ、動物の殺生をよしとしないのも理由だそう。

動物を虐待するような異常者もいないだろう。



だが、ミャンマーも近代化につれ、いつの日か野犬も邪魔者として、一掃される日がくるのかもしれない。


野犬だって、発展する街では生きにくくなっているはずだ。

急速な発展と近代化の裏で、野犬たちは置き去りにされているような気がする。


この野犬たちが、のんびり暮らせる日はいつまで続くだろうか…



徳を積むためにエサを与えられてきたミャンマーの犬たち。


もし「 その時」が来たなら、単に殺処分するような残酷なやり方でなく、野犬にも優しい解決方法を考えて、ミャンマーらしく『徳を積んで』くれれば良いなと思う。