”食用牛が初めて外を見るのは屠殺場の道すがら” | 世界で遊ぼう楽しもう

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この10年くらいで海外旅行はかなり身近になり
飛行機さえ乗れば、国内より安く、また国内ではなかなか体験できないプチ冒険もできちゃいます。
このブログは、小さな冒険の情報源になれればと、なるべく有名観光から外れたものを紹介していきます。


いつも読ませていただいているブログです。

凄く考えさせる内容だったので、リブログさせていただきました。


自分は、ある日まで「いただきます」の意味を考えたことがなかった。


その日、たまたま見たテレビで、高校生の作文コンクールの入賞作文に、その題のものがあった。

かなり昔だが、強いインパクトがある内容だったので覚えている。


その高校の授業で、鶏を卵から孵化させ、親鳥になるまで生徒が世話して育て、その鶏を自ら絞めて調理し、肉をいただく…

つまりは命を「いただきます」なのだと。

その話を作文にしたものだった。


その授業、殺す行為まで生徒にやらせる必要性は自分にはよくわからない。

何故なら、未成熟で感受性の高い少年少女が病んでしまうのではないか?という懸念が拭えないからだ。

そういった命の関わる重い内容にたいして、命の尊さを現状で大切に思っている子ほど、その鶏を殺すなどできないはずだ。


すでに学ぶべき事をわかっている子にマストでやらせることに意味がないのでは?と。




食品会社に勤める友人が、仕事で豚の屠殺場の視察をした時の話をしてくれたことがある。



この『リブログ』のその後になる話。


屠殺の機械の前で、豚も恐怖と死の予感から先に進まないそうだ。


物凄い悲鳴に似た鳴き声をあげ、必死に地を踏ん張り、最後の抵抗をする豚たち。


すると係員が電流の流れる棒を当てて電気ショックで追い立てて、先に進ませる。
機械に入ると悲鳴は収まり、出口から変わり果てた姿で出てくる…と。


いつも食べている肉の、少し前の出来事であるが、ほとんどの人が知らない世界。


その屠殺場は、以前の仕事場にいく途中にあり、外観にはそれとわからない建物だった。


いつも通っているので、たまに豚が運ばれるのも見ていたが中の事は考えなかった。

いや、その話を聞くまで考えようとしなかったんだと思う。


人間が生きていくために、無くてはならない畜産動物。

このシステム無しには、人間の健康的な生活は成り立たない。
だから、畜産はやめようなどと言うことは、もはやできないし、言う気もない。


それにその話をしても、
「そんなの仕方ない」「どうしようもない!」
という人がほとんどだろう。



でも、だから…と思う。


ただ、せめて生きている間、少し環境を整えてあげられないかと…

屠殺場の前に恐怖を与えず、痛みを与えない方法にはできないだろうか…と。

(と殺場の職員や電気ショックを与える係員も、慣れはあるにせよ、きっと精神的に苦痛なはずだ )




動物福祉という言葉がある。

以下に説明があるので読んでいただきたい。

日本動物福祉協会
https://www.jaws.or.jp/welfare01/

動物愛護の先進国イギリスなどでは、ペットや家畜にも法律で飼育環境についての決まりが定められている。



とても難しい問題なのは理解できる。
畜産業もコストを押さえなければ厳しい産業だ。


でも、お肉を「いただく」みんなで少しずつ負担したら何かできないだろうか?


「いただく」動物たちに、せめてものお礼、感謝くらいしてあげたいと思わないかな。

畜産家は、少し家畜のスペースを広げるとか、運動させるとか。

その手間とコストは消費者に上乗せする。
それでも、いきなり倍の値段とかならないだろう。
g当たり数円くらいでできそう。

国が肉製品に、福祉名目やなんらかの税金を課すことだっていいかも。

健康的に育った動物の方が美味しいはず。
科学的にも証明されてる。
それを各畜産家が特色をつけてブランド化するとか。


考えればいろいろ手はあるはず。

xxxx   (全て素人の個人的な見解です)   xxxx



じゃ、個人でなにができるかと考えてみると、なかなか難しい…


そこで、考えてみた一番の方法は信用できる動物愛護団体を支援することではないかと思います。

Evaは杉本彩さんが代表をつとめている公益財団法人で、虐待や殺処分、畜産動物、動物実験まで、あらゆる動物の問題に取り組んでます。


公益財団法人動物環境・福祉協会Eva

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まずは多くの人に興味を持ってもらい、感じて考えてもらうことが、私たちのできる第一歩になるのではないでしょうか?