七夕とお盆はもとはひとつの行事だったのに・・・ | 今日は出掛けてます。

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しんまいぼうず ヒロツグ

七夕とお盆はもとはひとつの行事であり、仏教や神道より前からあった日本人の風習です。

結論最初に出しましたが、毎年恒例、7月のブログの内容は七夕とお盆の関係について。

一年の真ん中のことを中元(ちゅうげん)と言いますが(※「お中元の贈り物」の中元)

仏教が日本にくるよりずっと昔から

日本では人は亡くなると、天空の山・高天原(たかまがはら)に霊魂は登っていくという思想がありました。

ただし、一年のはじめ(正月)と一年の真ん中(中元)には魂は山から帰ってくるので、

食事を用意するなどして、おもてなしをしましょう、

おもてなしを繰り返し受けていると、そのうち自分の家と土地の守り神に昇格する、というものでした。

これは現在の50回忌を迎えたら神様になるという思想に繋がっているかと思いますが、またの機会にします。

その後543年に日本に入って来た仏教にあるウランヴァナ・盂蘭盆会(うらぼんえ)という行事をテンプレートにすることで、

それまで日本人の中で、ふわっとしていた高天原や魂に関するものが形づいて統一されていきました。

記録では今から1400年くらい前の聖徳太子の時代に宮中で盂蘭盆会をおこなったそうです。

この盂蘭盆会は一週間ご先祖様の魂が帰ってくるので、

ご先祖様の分のごはんも用意して一緒に食事をする、というものでした。

7月7日の夕方からお迎えの準備をして帰ってきてもらい、中元の15日まで一緒ににぎやかに過ごしましょう。

七夕はご先祖様をお迎えする棚(たな)をつくり、そこにご先祖様への目印となる幡(はた)をたてる、

からきているので棚幡(たなばた)なのです。七夕は当て字です。

このとき幡(はた)に竹や笹が使われました

それは竹はあっという間に成長することから、天界の高天原まで一気に伸びていくと考えられたから。

竹や笹を飾るところから送り火まで一つの行事だったのです。

ところが、

明治に入り、太陰暦から太陽暦に変わり8月にお盆が移行。この時七夕と分離してしまいました。

分離した際、江戸時代にあった手習いの上達を願う行事と中国の織姫彦星の話がくっついて現在の七夕飾り

になったと言われています。

現在日本ではもともとの7月にお盆をする地域(関東の一部と東海地方など)があり

一部では本当の旧暦、今年は旧七夕は8月9日、旧ぼんは8月17日がお盆のところもあります。

というわけで、七夕とお盆はもとはひとつでその起源は日本人の独特の風習です。

行事であれ何であれ、その本質を見失わないようにしたいものです。

一緒に過ごす(生きている人とご先祖の魂が共生する)が日本のお盆であり、

見えなくなってもそこにいるであろう存在と一緒にいるのだ、という日本人の

思いやりの心の根底にあるものから来ているものではないでしょうか。

共生、共に生きていることを確認するために離れている家族と過ごしたり、連絡とりあったり、

などしていただければと思います。