年末なのでやはり「除夜の鐘」と「108煩悩」についての誤解を少々。
最初に言ってしまえば、煩悩の数は無限です。
わかりやすくするために、
108個ではなく、108元素とか108要素と考えてください。
例えるなら、全然考え方が違いますけど例えるなら、
「甘いものが欲しい」という要素と「冷たいものが欲しい」という要素があったとすれば、
冷たさのレベルが冷凍庫か冷蔵庫かで、ジュースになるかアイスクリームになるか、
それは「冷たいものが欲しい」という要素の強さにもよるし、
甘さはどれくらいのレベルか、などの強さもあるでしょう。
つまりは108の要素の組み合わせとそれぞれの成分量や強弱によって
色々な欲望・煩悩があるのですから、無限にあるのです。
仏道修行は煩悩を、分析して、消すという行動をとり、悟り・覚醒者になることが目標です。
仏教は分析学の面が強いんです。
この煩悩を分析していった結果、見惑(けんわく)思惑(しわく)と呼ばれる分類にまとめました。
88種の「見惑(けんわく)」、10種の「思惑(しわく)」、これに「十纏(じってん)」とよばれる10の煩悩を
合わせて「108」としたのが、煩悩は108あるという説の有力なものと考えられます。
宗派によっては別の説を採ったりしているので色々あると思っていただければいいのですが、
はっきり言ってしまえば煩悩が108個のわけがないのです。
そして、宗派によって煩悩のとらえ方も違うのです。
煩悩はだめだと全否定する宗派、そもそも煩悩なんてないという宗派、
煩悩を極めた先が悟りだという宗派、・・などなど。
ひとつ間違えないように言っておきますが、
仏教では根本に五戒(殺すな(特に肉親を殺すな)嘘をつくな(特に世を惑わすような嘘)盗むな、姦淫(不倫)するな、酒に飲まれるな)
があり、煩悩の行き着く先はこれらではないです。これらは煩悩ではなく大罪です。
ちなみに私のところは、煩悩はゼロにはできないけどその上でどう生きるかという宗派に分類されるかな、と思います。
そんなわけで、除夜の鐘の数もいつの時代からか108回とかいうのがひろまっていますが、
除夜とはそのままの意味で旧年の夜を除き、新年を迎える鐘です。
この鐘の音に一年を振り返り、新年を心穏やかにして迎えようという思いを込めるようになった、
それはステキなことだと、日本人のステキなところだと思うのです。
もし鐘をつく機会のある方、つくときは心穏やかに、そして鐘の音とその余韻を聞いて新年を迎えてください。
あと当ブログでときどき取り上げますが、
帰省される方、帰省されてくる家族がいる方、
お互いに自分の家の宗派、菩提寺、先祖の墓はどこか、
情報共有をおススメします。
詳しくは私の以前のブログ
『ラジオでの内容5、知っ得こと』
http://ameblo.jp/hir394/entry-12020506160.html
にて。
皆さま、今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えくださいませ。