中途半端な雑学をひとつ
仏教について
各お寺に入ると荘厳なる飾り付けがあり これは何かと調べても仏具の名称しか出てこない
天井から吊り下がるモノは天蓋だ播葢だと説明はある
浄土宗 極楽浄土を表してると表現するが
あれを見てると 経典に出てくる
「宝塔」と云うモノが思い浮かぶ
モチーフは宝塔だと思うわけだが
簡単に言うと「宝塔」とは何か?
あのような煌びやかな装飾をして
そこに座する僧侶は特別な袈裟を着て在家との差を表す…
さてさて 「宝塔」に戻ろう
この中で釈迦と多宝如来が対話を展開した場所としよう
いきなり地から湧き出てきた宝塔の中に多宝如来が居た そして宙に上がり儀式を始める
まぁそれだけ荘厳で仏や如来を崇めなさいって感じに聞こえたり見えたりするんだけど
「宝塔」とは釈迦は
これだけ荘厳で尊いモノがあなたの中に納まってると説いている。
それを出すのも引っ込めるのもあなた次第ってわけだ。
それを表したのが24文字の法華経と云うのもある
「我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏」
(我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり)
神道もそうだが
何故 神鏡 鏡なのかを知るべきで
鏡を覗けば何が映るのかと云う事である
あえてそのように生命とは尊くて荘厳なるモノだと例え話で表した表現なのである
僧侶を崇めたり 亡くなった人を弔うのに極楽浄土を表したモノだと教えるのには異議がある
これを十界の生命の仏界と例えた表現が法華経に説かれている
と 法華経の中には書かれている
あっ 実はサンスクリット語の原本には十界の生命
諸法実相は書かれてはいないし
28品じゃないことも理解して書いてます。
(˶ᐢᗜᐢ˶
日本人が手に届く範囲の書物では全ては理解出来ないのが仏教のようである。
実に奥が深く
わかった‼️と思ってもそれは傲慢で
理解し難い 「難解難入」なのである
ってか 現代と環境が違いすぎる中で派生したものであるが故、それを追い続ける必要も無いとは思う
仏教や聖典をモチーフにしたモノが現代風にアレンジされてあるモノで十分だと思います。