見落としがちな一節(法華経) | つぶやきcafé 寄って亭

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荘厳なる宝塔を視る視覚 

伎楽による音楽による聴覚

華香の香りによる嗅覚

瓔珞(ようらく)による身を飾る精神のモチベ




これら全てが脳にぶち当たり
血液を開放し 運動機能や呼吸機能の改善
仏教に嘘は書いていない
理解を間違えているだけ
信仰を薦めてる訳では無い
ただ 教えを捨てるのは勿体ない
瞑想もこの過去世の虚空絵の儀式を引き出せるかの作業(訓練)でもある
催眠術を解く暗号のように
何度も何度も読んで(読経)心(脳)の奥に沈む記憶を呼び起こすのである
それは何故ならば
わたしたちは前世では仏法や聖典を保っていた
そして今世でその機会に出会えるかに掛かっている
そのために大きな苦悩がある
苦悩なき 失敗なき 苦労なきは
来世に持ち越しなだけである
現代、私と(あなた)と神や仏の間に
仲介者(僧や聖職者)など要らない
大乗仏教とはそおいうものである
導く指導者(師)と云う存在が必要なだけである
変わりにと云う他力本願的なモノではない
直接手を合わせるだけで良いのである
恥ずかしいとは思わないこと
祭壇の前に立つと苦しくなったり嫌悪感が沸くのはこれまた別のことで魔が騒ぎ 神仏との関係を離そうとしてるだけである

経典に書かれている 「供養」の対象者は誰か?

それは生きているあなたです

こんなことを書くと僧侶など必要ないという事になる それを阻止するために伝わる教えを解放せず隠し持つのである
本屋 図書館の書物には書かれない秘伝は隠されたままであると云う事にはなっているが
そんな大した秘密はない
ある事にして存在価値を見出してるだけである

ですと(-人-)ナムナム…