平野啓一郎の同名小説を映画化した作品。原作は以前読んでいます。

 

夫と別れ、故郷の宮崎に帰ってきた里枝は、彼女が働く文房具店にスケッチブックを買いに来る口数の少ない若者、谷口大祐と再婚します。心に深い傷を負った2人は、幸せに生活していましたが、ある日、大祐が事故で亡くなってしまいます。その1年後、一周忌の法要に、大祐の兄、恭一が姿をあらわします。けれど、恭一は、仏壇に飾られた大祐の写真は弟のものではないと言います。確かに"谷口大祐"の戸籍を持っていた彼が"谷口大祐"でないとすると、一体、何者なのか...。理枝は彼、"X"が何者なのかを探るべく、前夫との離婚裁判を担当した弁護士、城戸に連絡を取り...。

 

しばらく前に、実際には存在しない人物の戸籍を自分のものとして造り上げ、年齢も誤魔化していた女性の事件があり、現実に"戸籍を偽造する"という行為があったことに驚かされましたが、実際にこんなことができてしまう可能性はあるのでしょう。

 

人はどんな親の元に生まれるかを選ぶことはできませんが、どんなところに生まれるかはその人の人生に大きな影響を与える重大な要素です。"X"が、世間から弾かれ、思うように生きられなかったことについても、彼自身には何の責任もありません。けれど、そのために、様々な場面で差別され、疎んじられます。何とか、その状況から逃れたい、そのために法を犯してもやむを得ない、そう思い詰めることも理解できます。

 

そして、彼が追い詰められるような状況を生み出しているのは、周囲の人間の視線であり、世間の圧力ということになるのでしょう。そして、罪のない彼が理不尽に追い詰められることを仕方のないことと受け止めてしまうとしたら、そこに、私たちの罪があると言わざるを得ないでしょう。"犯罪者の家族"、"マイノリティーの人々"などに向けられる世間の視線の厳しさ、鋭さを実感させられます。そして、哀しいことに、ある意味ではマイノリティーな城戸も、他のマイノリティーな人々を下に見てしまう弱さを持ち合わせています。被害者は常に一方的に被害者なわけではなく、加害者も常に全面的に加害者なわけでもない、そこに、社会が人を罰する難しさがあり、遣る瀬無さがあるのだと思います。

 

親の罪の責任を子が、子の罪の責任を親が負わさせるのは、やはり、理不尽というものでしょう。

 

本物の谷口大祐の背景についてはサラッと流されていたり、城戸と谷口が出会う場面が描かれていなかったり、原作と違う部分はありますが、原作の味わいは遺されているように思えました。

 

里枝の夫となった謎の人物の正体を探るサスペンスであると同時に、謎の男"X"に迫る過程が、城戸が自分自身の人生を振り返り、これからの生き方について迷う過程と重なり、物語に深みを与えています。

 

映画冒頭とラストにルネ・マグリットの絵画、「複製禁止(不許複製)」が、"ある男"たちの人生を象徴するようで印象的です。

 

里枝役の安藤サクラは流石の存在感。"X"役の窪田正孝は切ない雰囲気が役柄にぴったりで印象的でした。

 

 

 

公式サイト

映画『ある男』公式サイト | 11月18日(金)全国ロードショー (shochiku.co.jp)