南に向かって進んで行く一頭の犬、多聞。彼の歩みと彼に関わった人間たちとの交流を描く短篇集となっています。

 

「男と犬」 仙台

東北の震災で仕事を失い、配達の仕事をしていた中垣和正は、駐車場でシェパードを少し小型にしたような犬を見つけます。リードはついていませんでしたが、首輪には「多聞」と書かれたタグが付けられていました。中垣は、多聞を助手席に乗せます。多聞は、お金が必要な家族のために窃盗団の運転手の仕事を引き受けた中垣を助けるような行動を繰り返し、窃盗団のメンバーも多聞を"守り神"として扱うようになりますが...。

 

「泥棒と犬」 仙台

窃盗団の一員だったミゲルは、多聞を連れて窃盗後の事故現場から逃走します。ミゲルは、多聞を連れて船で日本を脱出しようと新潟を目指しますが...。

 

「夫婦と犬」 富山

中山大貴は、トレイルランニング中、汚れた犬を見つけ連れて帰ります。大貴は、妻の紗英に犬の世話を押し付けます。紗英は、ほとんど収入に結びつくような仕事をせず、趣味に勤しみ、気ままに過ごし、経済面でも家事などについても全てを自分に押し付けてくる大貴に不満を持っていました。犬にクリントと名付けて世話をすることで、紗英は慰められ...。

 

「少女と犬」 東尋坊

交通事故で足に障害が残り、車いすで生活する瑠衣は、東尋坊で岸壁を眺めている時に野良犬と出会います。瑠衣は、かつて飼っていた犬、マックスを思い出します。瑠衣は、東尋坊で"いのちのボランティア"をしている中年の男性、武に声を掛けられ、武に野良犬を飼ってもらうことになります。その後、度々、武の家を訪ねるようになり...。

 

「娼婦と犬」 琵琶湖周辺

同棲している金遣いの荒い晴哉のために借金をし、返済のために身体を売るようになった美羽は、運転中に道に横たわる犬を見つけます。美羽は怪我をした犬を病院に連れていき、手当をしてもらいます。車にある"荷物"を積んでいた美羽は、やがて、犬がいつも西の方を気にしていることに気付き...。

 

「老人と犬」 島根

弥一の家に犬が迷い込んできます。腕の良い猟師だった弥一は、相棒となっていた犬、マサカドの死後、猟からは遠ざかっていました。麓の里に熊が出たため、弥一にも駆除に協力するよう要請がありました。膵臓がんを患い、余命が少なくなっていることを自覚している弥一は、出動を断りますが...。

 

「少年と犬」

大震災の後、家族とともに釜石から熊本に移住していた内村徹は運転中に野犬を見つけます。やせ細った犬を保護し、動物病院に連れて行ったところ、埋め込まれていたマイクロチップから、その犬が釜石に住んでいた出口春子の犬であったことが判明します。徹が自宅に犬を連れて帰ったところ、震災のショックで言葉を発しなくなった息子の光の方に向き、激しくしっぽを振ります。光は、震災以来、初めて笑顔を浮かべ...。

 

 

多聞は、5年をかけて、釜石から熊本へと旅をします。そして、その間、様々な人と出会い、心を慰め、危機から救い、生きる力を与え、死に寄り添います。

 

多聞とである人々は、それぞれの哀しさや辛さを抱えていますが、多聞は、まるでそれを救うためにやってきたように彼らの前に現れます。そして、自分の役割を終えると多聞自身の旅を続けます。

 

6編のエピソードのそれぞれが違った味わいを持ち、メリハリのあるので、最後まで飽きずに読むことができます。そして、多聞の目的地がどこなのか、多聞が何故、旅をしているのかが、気になり、次へと興味が繋げられていきます。多聞の健気さ、温かさ、切なさに心を打たれました。

 

人は長く、犬の力を頼り、犬に助けられ、犬を友としてきました。そして、時々、犬たちは思わぬ力を発揮してくれ、私たちを感動させてくれます。人の気持ちや考えを読み取る能力があるのではないかとか、予知能力があるのではないかとか、思わざるを得ない状況を目の当たりにすることさえあります。

 

本作を読んでも、多聞が人間にとって都合よすぎて、ありがた過ぎて、少々、犬に期待しすぎではないかと感じる部分も大きいのですが、様々な犬と人間の関係を考えると納得させられてしまう部分もあったりします。

 

読み終えて、犬を抱きしめてしまいました。少々、迷惑がられましたが...。

 

 

 

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