先日、国立能楽堂に行ってきました。

 

演目は

仕舞 「花筐」 観世清和

狂言 「呼声」 山本東次郎

能  「紅葉狩」 観世三郎太

       

花筐(はながたみ)

越前国味真野(現在の福井県越前市味真野町周辺)に、応神天皇の子孫である大迹部(おおあとべ)皇子が住んでいました。皇子は武烈天皇から皇位を譲られ、継体天皇(450年?〜531年?)となり、都へ旅立ちました。帝は、味真野にて寵愛していた照日の前に使者を送り、手紙と愛用した花筐(はながたみ:花籠)を届けます。出先で使者を迎えた照日の前は、天皇の即位を喜びながらも、突然の別れに、寂しく悲しい気持ちを抑えられず、手紙と花籠を抱いて、自分の里に帰りました。

大和国玉穂の都(現在の奈良県桜井市池之内周辺)に遷都した継体天皇は、ある秋の日、警護に当たる官人らを引き連れて、紅葉見物にお出かけになりました。そこに照日の前と花籠を持った侍女が現れます。彼女は、天皇への恋情が募るあまり、狂女となって故郷を飛び出し、都を目指して旅をしてきたのでした。狂女・照日の前が、帝の行列の前の方に飛びだすと、官人が狂女を押し止め、侍女の持つ花籠をはたき落します。照日の前はこれをとがめ、帝の愛用された花籠を打ち落とす者こそ狂っていると言い、帝に逢えない我が身の辛さに泣き伏してしまいます。

官人は帝の命令を受けて、照日の前に対し、帝の行列の前で狂い舞うように促します。照日の前は喜びの舞を舞った後、漢の武帝と李夫人との悲しい恋の顛末を物語りつつ、それとなく我が身に引き寄せて、帝への恋心を訴えます。

帝は、照日の前から花籠を受け取ってご覧になり、確かに自分が愛用した品だと確認し、狂気を離れれば、再び以前のように一緒になろうと伝えます。照日の前は、帝の深い情愛に感激し、正気に戻ります。この花筐以降、「かたみ」という言葉は、愛しい人の愛用の品という意味を持つようになったと伝えられています。かくして二人は、玉穂の都へ一緒に帰っていくのでした。。

 

 

呼声(よびこえ)

主人に無断で度に出た太郎冠者が帰ってきているとのうわさを聞き、怒った主人は次郎冠者を連れ、太郎冠者の家に行きます。太郎冠者は、居留守を使ってごまかそうとしますが...。

 

主人に太郎冠者を呼び出すよう命じられた次郎冠者は、最初は普通に声を掛けますが、次第に、浄瑠璃節、平塚節、小唄節など、音曲尽くしの声掛けをし、太郎冠者もそれに応えていくうち、徐々に楽しくなって...。

 

 

紅葉狩(もみじがり)

旧暦9月の、紅葉が美しい戸隠の山中。

高貴な風情をした女が、侍女を連れて、山の紅葉を愛でようと幕を打ち廻らして、宴を催していました。その酒席に、鹿狩りの途中であった平維茂(たいらのこれもち)の一行が通りかかります。維茂は、道を避けようとしますが、気づいた女たちに「是非ご一緒に」と誘われるまま、宴に加わります。高貴な風情の女はこの世の者とは思えぬ美しさ。酒を勧められ、つい気を許した維茂は酔いつぶれ、眠ってしまい、女たちは姿を消してしまいます。

そこに、八幡大菩薩の眷属、武内の神が通りかかり、維茂の夢に現れ、女たちが戸隠山の鬼神だったことを知らせ、八幡大菩薩からの下された神剣を維茂に授けました。夢から覚めた維茂の目の前に、鬼女が姿を現し、襲いかかってきます。維茂は勇敢に立ち向かい、激しい戦いの末に、みごとに神剣で鬼女を退治しました。

 

 

素晴らしい"芸"を堪能しました。上演前には、解説もあり、セリフ回しの分かりにくさはあるものの、何を語っているのかは聞き取れるレベルですし、初心者でも分かりやすく鑑賞できる工夫がされているのでしょう。能楽については全くの素人で、事前にネット検索で概要を確認したりはしていますが、その程度。それでも、楽しむことができました。

 

狂言で太郎冠者を演じた山本東次郎は、能楽狂言方大蔵流の名跡で、現在の四世は1937年生まれの86歳。とても信じられない程の声の張り、艶やかさと軽々とした身体の動き。2012年に人間国宝となっている名人で、やはり一つの芸を極めてなお鍛錬を続けていることの凄さを見せつけられました。

 

能は、心地よい謡や囃子のリズムや自然を感じさせる柔らかい音の響きに眠りを誘われたりもしましたが、やはり、見事に統制の取れた身体の動きに目を奪われました。

 

また、機会を観つけて能楽鑑賞をしたいものです。

 

 

 

国立能楽堂公式サイト

国立能楽堂 | 独立行政法人 日本芸術文化振興会 (jac.go.jp)