最寄り駅は京成本線の宗吾参道駅。
駅を出入口1から出て、線路わきを歩き、すぐの踏切のところを左折すると参道の入口があります。
道なりに真っすぐ歩き、号線に出たら右折し、しばらく歩くと正面に入口が見えてきます。
宗吾霊堂入口
山門
山門をくぐると真正面に本堂が見えます
開創年代等は不詳ですが、寺伝では、桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂が創建したとされています。何度か火災に遭い、移転を繰り返し、1662年(寛文2年)澄祐により再興され下方字鐘打に移りました。1910年(明治43年)にも火災により焼失し、1921年(大正10年)現在地に再建されました。
江戸時代、4代将軍、家綱の治世に、佐倉惣五郎は佐倉藩藩主、堀田正信による暴政により困窮していた領民の救済を将軍へ直訴します。堀田正信は改易され、領民は救われますが、直訴の罪に惣五郎は公津ケ原刑場で妻とともに磔刑に処せられ、惣五郎の息子4人も死罪とされました。その際、当山の住僧、澄祐和尚が、遺骸を刑場跡に埋葬します。その後、正信の後に藩主となった堀田正亮(正信の弟、正俊の子孫)は、1752年(宝暦2年)、百回忌の時に宗吾道閑居士の法号を諡号しました。以来、惣五郎は宗吾と呼ばれるようになり、1791年(寛政3年)、堀田正順(正亮の次の佐倉藩主)は徳満院の院号と石塔一基を寄進しました。さらに、1804年(文化3年)、堀田正時(正順の次の佐倉藩主)が惣五郎の子孫に田高5石を供養田として与えました。
佐倉惣五郎は、義民として有名ですが、その人生について、史実として確認できることはあまり多くないようです。
東勝寺は明治時代に佐倉惣五郎の霊を祀る宗吾霊堂を建て、「宗吾様」を本尊とするようになり、寺そのものが「宗吾霊堂」の通称で知られるようになっています。
御朱印
2020年(令和2年)2月24日拝受
金鳴山 医王院 東勝寺(とうしょうじ)
宗旨:真言宗豊山派
本尊:佐倉惣五郎
所在地:千葉県成田市宗吾1丁目
アクセス:宗吾参道駅(京成線)徒歩12分
公式サイト