シホは、住む家もなく都内のネットカフェで生活していました。ある日、彼女は、初対面の占い師に25年前にも会ったことがあると言われます。そんな時、シホは、風俗の仕事の最中、客から、昔好きだったアイドル女優の星乃よう子に瓜二つだと言われます。気になったシホが星乃よう子について調べると、確かに自分と似ていて、不思議なことに自分の誕生日である1992年4月9日に失踪したまま行方不明になっていることが分かります。さらに、幼い頃に亡くなったと聞かされていた母親が実は生きているという情報が入ってきて...。

 

夜に蠢く、怪しげな人々。ネットカフェの住人たち、もしかしたら目が見えているかもしれない自称盲目の腕は確からしい占い師、不思議な雰囲気を漂わせたネットカフェの店長、謎の赤シャツ軍団、当たり前ような顔をして淡々と夫の死体を運ぶ女性...。どこか漫画チックでフワフワしてリアリティに欠ける感じもありますが、"都会の闇"を映し出すような世界が広がっています。

 

シホは生きているかもしれない母を捜し、自分に瓜二つだと言う星乃よう子のことを調べます。その背景には、自分が何者かを知りたいという欲求が見て取れます。シホが本当の母親が一度はアイドルとして世に出た人物だった可能性に気づいた時、彼女の中に"すごい親がいる"と思えることへの期待が湧き上がったのでしょうか。自分の出自がよく分からないことへの心もとなさが、彼女を自分探しへと駆り立てたのでしょう。その辺りの土台の部分は面白かったのですが、作品として魅力的なものに仕上がっているかというと疑問が残ります。

 

ごくごく日常的な場の中にあるミステリーチックな要素を取り上げた辺りも面白かったですし、自分とそっくりな過去の人物を捜すという設定も興味深かったです。けれど、シホの心情の変化や、彼女が何に駆り立てられ、何を乗り越えていったのかといった部分の描き方が薄く、折角の設定の面白さが削がれてしまった感じがしました。

 

そして、最終的な着地点は、よくよく考えてみれば、本作のテーマに沿った巧い形にまとまっていたと思うのですが、あまりにありきたりと言えばありきたり。そして、「今が大事」とセリフとして繰り返されたことで、ラストに向かうエネルギーとラストの爽快感が薄くなってしまった気がします。今を精一杯生きることの大切さ、人と人とが繋がることの大切さ、そに帰着したこと自体が本作の救いであり、きちんとそこに辿り着いてはいたと思います。もう少し、あちこちに散りばめられた様々な要素を丁寧に回収し、「今が大事」のセリフをもっと最低限に抑えたら、結末に至った時の満足感がもっと高まったのではないかと思います。

 

 

公式サイト

映画『フェイクプラスティックプラネット』 (fpp.tokyo.jp)