住野よるの同名小説を映画化した作品です。原作は未読です。

 

大学生の田端楓は人との付き合いが下手で、誰かを傷つけることが怖くて周囲との交流を拒んでいました。一方、周囲に忖度することなく理想を語る秋好寿乃は、周囲に敬遠されていました。寿乃は"世界を変えたい、世界を救いたい"という大きな目標に向かって進むため、楓を引きこみ、秘密結社サークル"モアイ"を結成します。けれど、"モアイ"は大学の中で徐々に存在感を増していき...。

 

冒頭で、"秋好がこの世にいなくなった"と楓は語ります。その言葉の本当の意味が徐々に明らかになっていきます。そして、楓にとっての"世界"と彼を取り囲む"世界"のズレが見えてきます。その過程で、楓のしょうもなさが伝わってくるのですが、これが、どうしようもなく"青くて痛くて脆い"のです。

 

そして、楓の"世界"がいかに小さいか。例え彼の世界から弾き出されたのだとしても、いくらでも生きる世界はありそうです。この自分の世界の小ささに気付かないのも、楓の幼さであり、青さでもあり、脆さでもあるのかもしれません。

 

客観的に見れば、彼は、それ程、理不尽に扱われたようには思われません。一見、怪しそうな現在の"モアイ"も、噂されている程、危ないわけではなさそうです。まぁ、"世界を変えられる"かどうかは別ですが、しかし、それ程の大それた目標、そう簡単に叶うわけではなく、手段や工程を少しずつ積み上げていくしかないでしょう。そして、堕落したようにも見受けられる"モアイ"も、完全に方向を見失っている状況とは見受けられませんでした。

 

楓の近くにいる友人たちには、"モアイ"のポジティブな面も見えるようですが、楓には認識できないようです。そこに彼の子どもっぽさやしょうもなさがあるのかもしれません。この辺り、実に"青くて痛い"です。

 

自分を被害者として認識していた楓ですが、"モアイ"に大きな打撃を与えることになります。

 

被害者が加害者に転じるということは珍しくありません。自分を被害者だと決めることで、自分に復讐する権利を認めてしまうのでしょうか。そして、自分が被害者で相手に非があると思い込むだけに、その復讐は酷いものになってしまったりするのでしょう。追い詰められたと感じた時、"攻撃は最大の防御"と"自分を護るため"という言い訳の元、相手を攻撃してしまうということも珍しくはありませんが、"防御は最大の攻撃"ということになるのかもしれません。

 

楓は、自分が"裏切られた"、"傷つけられた"と寿乃への屈折した気持ちを膨らませていきますが、彼は彼自身の力で裏切られないようにすることも、傷つけられないようにすることもできたのです。

 

楓は、身勝手で、思い込みが激しくて、卑怯でした。けれど、楓のような人は、いえ、もっともっとどうしようもない人も山のようにいるのがこの世の中です。もし、寿乃が本当に世界を変えたいのであれば、楓のような人がいることを前提に世界の方向性を考えなければならないのです。

 

本作で描かれた物語は、楓の視点から語られていましたが、寿乃の視点からはどのような物語が浮かび上がってくるのか...。もし、寿乃が、楓を"面倒見切れない理解のできないしょうもないヤツ"としてではなく、"この世の中に当たり前に存在するタイプの人のひとり"として受け止めることができるようになったのだとしたら、寿乃は、本当に世界を変える力を持てるのかもしれません。

 

肩肘張らない自然な感じを醸し出す演技が、登場人物や物語にリアリティを生み出し、まるで実話をもとにした物語のようにも思われました。

 

原作も読んでみたくなりました。

 

 

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