東日本大震災から10年になります。もう10年か、まだ10年か...。それぞれの状況によって感じ方は違うのだと思いますが、2011年3月11日の地震により、多くの人が人生が根底から揺さぶられたわけです。

 

10年前の3月11日14時46分。その時、私は職場にいました。首都圏ではありましたが、可動式の書棚が左右に大きく動くようなかなりの揺れでした。職場にテレビが1台あり、ニュースを見ようと皆でその前に集まりました。最初は、震度やマグニチュードが示されただけで、それでも、大きな被害が出たことは想像に難くありませんでした。徐々に被害の大きさが伝わってきて、地震からしばらくして流れてきた仙台空港の映像には、迫りくる大きな波が映し出されていました。あの波が人のいるところに到達すれば多くの死者が出ることはひと目で予測ができました。テレビのこちら側で、多数の人々の命が奪われるのを何もできずにしかも安全な状態で眺めていることの異様さに何が何だか分からなくなっていました。

 

電車が止まり、その日には帰宅できなくなり、職場で夜を過ごしました。取り敢えず何か食料をと思い、近くのコンビニに行ったのですが、おにぎりやお弁当などはすべて売り切れ。何とか、カップラーメンをいくつか入手できてほっとしたのを覚えています。

 

近くには高層のマンションがあったのですが、エレベーターが止まってしまったのでしょう。外側の長い階段を上る人々の列が見えたのも記憶に残っています。

 

翌朝、電車が動き出してから帰宅しましたが、電車の本数は少なく、どこの駅にもホームに辿り着くための長い列ができ、通常の何倍もの時間をかけて帰宅しました。

 

被災地からは離れていたので、時々、計画停電の影響を受けるとか、物流などが滞ることによる不自由さを感じる場面があった程度で、生活に大きな支障が出るようなことはなく、概ね、通常の生活を維持することができたのですが、震災の被害の実態が明らかになって行く毎に深刻な被害に愕然としました。そして、原子力発電所の事故。"絶対安全"だったはずのものの脆さにショックも受けました。

 

ずっと続くと思われていた日常生活が一つのきっかけで大きく崩されてしまうことに気付かされ、大量の電気を必要とする現代の生活の在り方や生きることについても考えさせられたものです。

 

あれから10年。最近、大きめの地震があって、それが余震と報道されましたが、まだ続いている災害なのだと実感させられました。もっとも、こうしたことでもないと意識の外に追いやってしまいがちなのは、どこか、"他人事"になってしまっているからなのでしょう。いつ大きな災害で日常を奪われるかもしれない地震大国日本に住む以上、他人事ではないのですが...。

 

...と前置きが大変長くなってしまいましたが...。

 

早稲田にある法輪寺で毎年頒布されている"福興(「復興」ではなく)御朱印"の2021年版です。どれも、復興に向かうエネルギーが感じられる力強いデザインでとても素敵です。

 

2月に出された"金龍"

 

やはり2月に出された"銀龍"

 

3月に出された"虎"

 

 

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