エディス・ブリュックの自伝的小説「街へ行く」を、ブリュックも加わって脚色し、映画化された作品。原作は未読です。

 

旧ユーゴスラビアの片田舎。ドイツ軍によるユダヤ人迫害が始まっていて、父のラクトが収容所に送られ、娘のレンカは、目が不自由な弟のミーシャに眼に見える世界の素晴らしさを繰り返し話しながら、彼の面倒を見ていました。父の居ない生活は辛く不自由を強いられる生活の中で、恋人で森にこもって抵抗を続けるパルチザンのイヴァンとの逢瀬は唯一の楽しみ。そんなある日、収容所から脱出したラクトが家に戻り、レンカは父を屋根裏部屋に匿いますが...。

 

若い恋人同士は、互いに相手を想い、自分を犠牲にしても相手を救おうとします。父も子どもたちを慈しみますが、互いに愛し合い想い合う中にも悲劇が生まれてしまいます。特に、レンカの恋人への愛、弟への想いが切なく、哀しく、そこに、物語の雰囲気にぴったりの哀愁を帯びた音楽が心に沁みます。

 

反戦もの、ホロコーストものに分類される作品ということになるのでしょうけれど、登場人物たちを敵と味方に単純に色分けをして対立を描くことはしていません。"敵"の中にも手を差し伸べる者がいたり、積極的に助けはしなくても迫害に加担もしない者がいたり、傍観するだけの者がいたり、ともに苦しむ"味方"や、本来、同じような立場なはずが"敵"になびく者がいたり...。

 

ラスト。レンカとミーシャは、収容所へ向かう列車に乗せられます。目の見えないミーシャに辛さを味わわせないよう、少しでも希望を持たせられるよう、そこにあって欲しい美しい車窓の風景について語ります。それは、ミーシャを慰めるためであり、自分自身の願いの吐露でもあったことでしょう。すぐそこに迫っているより大きな悲劇を想うと涙を禁じ得ません。

 

戦いの場面も登場しますが、人が傷つき、命を落とす場面は少なく、残虐な描写もありません。悲劇的な場面よりも、若い恋人同士の幸せなひと時やミーシャのなかなか逞しかったりする微笑ましさが多くの分部を占めていたりします。その明るさが、悲劇をより引き立たせています。

 

互いに想い合う家族や恋人。そんな本来幸せに生きられるはずの人々の生活が根底から崩されてしまうところに戦争の大きな悲劇があるということなのかもしれません。

 

なかなか重く、遣り切れなさのある作品ですが、一度は観ておきたい作品だと思います。