君が生きた証 [DVD]/ビリー・クラダップ,アントン・イェルチン,フェリシティ・ハフマン
¥4,212
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やり手の広告宣伝マンのサムは大きな契約をまとめ、祝杯をあげようと大学生の息子ジョシュを強引に呼び出します。ところがジョシュは店に現れません。サムは、店のテレビに映し出された大学で起きた銃乱射事件の速報ニュースに気付き嫌な予感を覚えます。ジョシュは亡くなり、サムは、仕事を辞め、豪邸も失います。2年後、会社を辞めて荒んだボート暮らしを送るサムを、別れた妻が訪ねてきます。「あの子の音楽好きはあなた譲りだから」と渡されたのは、生前にジョシュが書き溜めていた自作曲の歌詞とデモCD。曲を聴いたサムは、ジョシュが何を思い、何を感じて暮らしていたのかをまったく知らなかったことに気付きます。ジョシュが遺したギターでジョシュの曲を爪弾くようになったサムは、場末のライブバーの飛び入りステージに参加します。その演奏を聴いたロック青年のクエンティンは、「あの曲はもっと多くの人に聴かせるべきだ」と力説。サムは、その情熱に押し切られ、親子ほど年の違うクエンティンと"ラダーレス"バンドを組むことになりますが...。

子どもに先に死なれるというのは、親としての最大の不幸だと思います。ジョシュを失ったサムの哀しみの大きさも分かるような気がしますし、ジョシュの死をきっかけに彼の生活があれていくことも分かる気がします。けれど、サムの日々の描写には、どこか違和感が漂います。途中で、その理由が明かされ、観る者は、衝撃とともに、その違和感の理由を知ることになります。

亡くなった息子が遺した曲を世に出そうとする父の物語と、力がありながら世に出られずにいたバンドの成功物語が重ねられ、若者たちのバンドが、同じくらいの年齢で亡くなったジョシュの曲で世の中に認められていくという流れになっていくのかという予測が見事に裏切られます。この展開が結構、ドキッとするのですが、ヘンに感情的に盛り上げるような描写はしません。全体に抑えた描写で、様々な出来事や登場人物たちの心情を懇切丁寧に説明してくれる作品ではないのですが、ちょっとした映像で、見事に登場人物たちが置かれた状況などが伝わってきます。その辺りの描写が巧く、物語が心に沁みてきました。

ラスト。その先のことが明確には描かれておらず、ほかの解釈も成り立つ描写ではありましたが、サムは、全てを背負ってその街で生きていく決意をしたのだと受け取りました。大きな喪失を味わい、重いものを背負わされたサムにそこで生きる道を見出させ、周囲がサムの想いを受け止められるようさせる、音楽にはそれだけの力があるということなのかもしれません。静かで深く、そして、微かではありながらも確かな希望を感じさせるエンディングだったと思います。

サムやクエンティンたちが出入りする楽器店の店主、デルを演じたローレンス・フィッシュバーンが印象的でした。良い味出しています。


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以下、ネタバレあり。







事件により奪われた命。当然、被害者となって命を奪われた者の遺族は無念でしょうし、悔しいでしょうし、辛いでしょう。けれど、本当は、加害者の遺族も辛いのです。ある意味では、被害者の遺族以上に。その辛さ、哀しみについて、周囲からの理解を得やすい被害者遺族に比べ、孤立しがちだし、より複雑な想いを抱えることになるわけで...。そして、ジョシュくらいの年齢になれば、その言動の責任の全てを親に負わせるというのも理不尽な話。そう、どんな親だって、子どもの全てを担えるほどの力を持ってはいないのです。親とはいえ、神ではなく、ただの人間なのですから。

そこをテーマとしたことで、印象深い作品となっています。で、音楽が素晴らしい。ただ、もしかしたら、音楽の完成度を追求するなら、ストーリーは単純明快にした方が作品としてのバランスが取れるのかもしれません。本作の場合、作品の印象が音楽に引っ張られ、物語の深さを描き切れていない感じがしました。

そして、一番の難点は、ジョシュがしたことと彼の遺した音楽が繋がらないこと。あんな風に自分を表現する手段を持っていて、何故、あのような行為に出てしまったのか...。自死し、その時に誰かを巻き込んでしまったというのなら、まだ、分かる気がするのですが...。

悪人だけが罪を犯すのではありません。善人だと思われていた人物も、ごく当たり前の人間だと思われていた人物も、ちょっとしたきっかけで大きな罪を犯すことがあります。

害を被った側が加害者を許すのは簡単なことではありません。けれど、被害者が本当の意味で幸せを取り戻すには、許すという過程を避けて通れないものなのだと思います。恨みや憎しみを抱きながら、幸せになれるものではありません。もちろん、だからと言って、許せない被害者を非難することは間違っています。被害者が加害者を許す気持ちになれるまで、被害者が支えられ、癒されることが大切なのだと思います。そして、加害者が許されるには、自らの罪に向き合うことが必須なのでしょう。加害者の遺族の生き方というテーマに考えさせられました。







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