第2次世界大戦末期、イタリアのファシスト政権は倒れますが、ナチス・ドイツは北イタリアに侵入、ファシスト政権の残党と組み、勢力を維持しようとします。一方、彼らに対抗するパルチザンの動きも活発になり...。


ナチス・ドイツがイタリアの村人を大量虐殺したマルザボットの虐殺をモチーフにしたフィクション。


貧しい農家の8歳の少女、マルティナは、弟を生まれたばかりの頃に亡くして以来、誰とも話さなくなりました。1943年の冬、母親が妊娠してマルティナと家族は新しい子の誕生を待ち望みますが、村やその周囲ではパルチザンとドイツ軍の戦いが激しさを増して...。


冒頭で1943年と示されるので、第二次世界大戦末期だということは分かります。けれど、最初に出てくる映像に見られるのは、ごく当たり前の日常。けれど、そんな貧しいけれど賑やかで幸せな日常にも戦争の影響が及んできます。


本作はマルティナの目を通して描かれますが、彼女には、戦争以前に生まれたばかりの幼い弟を亡くすという辛い体験があり、そのために言葉を発することができなくなっています。冒頭とラストに流れる彼女が歌う子守唄。途中で読み上げられる戦争の本質を突いた彼女の作文。それ以外では、彼女の声は聞こえてきません。けれど、彼女の表情が、そして、彼女が村の状況を見つめる視線が彼女の心を観る者に語っています。


ドイツ兵を平然と殺すパルチザンたち。家に来て食糧を買ったり、若い女性陣をからかっていたドイツ兵たちが、一転して冷酷な虐殺者となる展開。それでも女性や子どもを前に機関銃の掃射をためらうドイツ兵の姿。どちらかが正義でもう一方が悪というのではなく、互いに殺しあうのが戦争だと伝えているようです。


ドイツ兵も殺されるかもしれないという恐怖の中にいて、パルチザンの側も命懸けの緊張感の中にいて、双方ともに自分たちの身を護るため、正義を貫くため、戦い、敵の命を奪っていく。人間である以上、人を殺す時に少しのためらいも感じない人は少ないでしょう。相手の方が、腕力において圧倒的に弱い場合は特に。それを押し殺して、平時には気の良い若者であった青年を冷酷な殺人者に変えるのが正義への献身であり、命を奪われるかもしれないという恐怖なのでしょう。


比較的、淡々とした描き方をされていますが、却って、何気ない日常の中にも大虐殺が起きる恐怖が迫ってきます。そして、イタリアの山間部の農民たちの暮らし振りや彼らを取り囲む自然の美しさが平時の幸せを伝えて、その後の事件の悲惨さを伝えています。


多くの命が無残に奪われてラストを迎えますが、その厳しい状況の中で、生まれたばかりの弟を護りながら必死に生き抜こうとするマルティナの姿が一筋の光となって心に沁みてきます。


第2次世界大戦末期のイタリアの状況についてある程度の基礎知識がないと分かりにくいところもあるかもしれませんので、若干の予習をした方が良い作品かもしれませんが、観ておいて損はないと思います。



公式サイト

http://www.alcine-terran.com/yagate/



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