ある日、荒川の河川敷で女性の他殺体が発見されます。川尻松子(中谷美紀)、53歳。今まで彼女の存在を知らずにいた甥の笙(瑛太)は、松子の弟である父親(香川照之)に頼まれ、松子の住んでいた部屋の後片付けをすることになります。乱雑jな部屋を片付けながら、笙は、松子の人生を知るようになり...。


病弱な妹に偏りがちな父親の愛を自分に向けようと、松子は努力します。父親の望み通りの人生を歩もうと、教師にもなります。生徒からの人望を集め、彼女の人生は順風満帆に見えたのですが、ある事件をきっかけに、教師の座を追われ、その後の人生は転落の一途。その悲惨な一生を派手にポップに描いていきます。


まるで、テーマパークのアトラクションのような映像が続きます。この派手で明るい映像が挟まれなければ、松子の人生にまとわり付く暗さや惨めさに居たたまれなくなったかも知れません。思い切って軽くポップに描かれていたために、松子の人生を見つめることができたような気がします。


そして、この色彩豊かな映像ゆえに、松子の泥まみれになっても前向きに生きようとする逞しさ、裏切られても捨てられても愛を捧げようとする力強さが、より、リアリティを持って迫ってくるように思えました。非現実的な夢物語のような映像によって、かえって松子のある部分にリアリティを感じられたというところが面白かったです。


少々、辟易するほどのカラフルな映像のオンパレード。ド派手なミュージカル仕立ての場面は、松子の願望を表現しています。不器用で、上手く自分を表現できなかった、上手く生きられなかった松子に自身を語らせる場面で、こうした手法をとったのは、松子へのせめてもの愛情だったのかもしれません。


しつこいまでに繰り返される極彩色の映像が、松子の愚かで夢心地の、けれど純粋で激しい、一途に愛を求めた不器用な人生が凝縮されていたように思えます。


誰の人生にも様々な大なり小なり危機が訪れることでしょう。そして、その時のちょっとした対応の拙さがその後の行き先を大きく狂わせてしまうことがあります。松子にしても、傍から見れば、「そんなことをしなければ、こんな大きな問題にならなかったのに...」と思ってしまうようなことばかり。切羽詰った必死の行動が、何故か、意図するのとは違う方向へ、間違った方向へと松子を導いてしまいます。


冷静に考えれば、松子は、大事な時に、肝心なところで、寂しがり屋で愚かで弱かったのです。けれど、それは、人間たるもの誰でも大なり小なり持つ弱点で、誰でも、人生の過程の中で、ひどく寂しくなったり、愚かになったり、弱くなったりするものでしょう。それは、けっして、罪ではありません。


そして、松子のカッコイイところは、自分の不幸を人のせいにして他人を呪ったりしないところ。「もう少し反省しろよ!」「過去を教訓に学べよ!」と突っ込みたくなる部分もありますが、過去を嘆いて愚痴ることをしないのは立派だったと思います。


印象に残るのは、懸命に生きようとする松子の姿。やがて、松子は、松子から教師の職を奪うきっかけを作り、後に、ヤクザになった龍(伊勢谷友介)と再会し、同棲するようになります。龍と別れるように松子を説得するめぐみ(黒沢あすか)に対し「例え、行き先が地獄であったとしても龍について行けるなら幸せ」と言い放ちます。


龍は、後に服役し、そこで聖書に出会いますが、神父が「神の愛とは何か」と問う龍に対し、「自分が一番憎む相手を赦し愛するのが神の愛」だと説きます。その「神の愛」が「松子の愛」に重なります。松子は、教師を辞めさせられて家を飛び出したことから、家族を傷付け、家族から疎まれるようになります。そして、殺人という大きな罪を犯します。けれど、龍に神に匹敵する愛を与え、その人生を救いました。そして、甥である笙にも大きな影響を与えることとなるでしょう。


出所した龍に去られ、一度は人生を投げかけた松子ですが、最後の最後で、再起しようとします。その直後、松子の生命は奪われてしまいます。折角、生きる力を取り戻したというのに、そこで、殺されてしまうなんて!どうしようもなく不運な倖薄い人生のようにも思えますが、人生を捨てたままで終えるより、せめて、最後で前を向いていられたことに希望を見たいと思います。


映画の、非日常的な娯楽作品と言う側面を思いっきり強調したような作品です。面白く、可笑しく、哀しく、切なく、楽しく...。様々な感覚が刺激される一本でした。





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嫌われ松子の一生@映画生活