福沢諭吉は、自国女性を海外に売るという「ロイヤルビジネス」を思いついた 「からゆきさん」 天皇や福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などが皇室、政府ぐるみで日本の少女の人身売買を行っていた その数は50万人以上にも及んだ

 

日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである 日銀は麻薬銀行として創立した しかし日本では麻薬はあまり売れなかった 困ったマセソンは福沢諭吉と天皇に相談し日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にし

 

貧しい農村の女性に「海外で豊かな生活」が出来る、良家の娘達には「洋裁学校を紹介する」と騙した こうして天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船は日本女性を売春婦として海外に運んだ 大部分が処女であった日本人女性達は船の中で「売春婦」として教育するため英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された

 

東南アジアまではもちろん密航で、何の設備もない檻のようなところに閉じ込められ、入浴もできず、糞尿にまみれた 生き地獄 船の中は想像を絶する地獄鬼畜界だった 多くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した

 

欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員であれば10数年分の給与額を手に入れた 天皇一族の詐欺行為、女性の人身売買により莫大な資金が転がり込んだ。 ほとんどの唐行きさん は、15、6歳で売られ、風土病あるいはマラリア、性病で20歳くらいで亡くなっている

 

病気になれば使い物にならないとワニのエサとして生きたまま転売された娘もいた マレーシアのジャングルに捨てられまだ虫の息があるのにワニの餌で売られた娘 女性たちは決断を迫られる 「トラに食われるか」 「宿に戻り、男どもに食われるか」 そのほとんどがジャングルに足を踏み入れたという

 

いつどこで亡くなったかは家族は知らないままだったという こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた 米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で1億ドルを超えると記録されている

 

福沢諭吉は「賎業婦人(娼婦)の海外出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」「至尊の位と至強の力」すなわち皇室と三菱の懐に入った 山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」新日本出版社) 1972年の山崎朋子「サンダカン八番娼館」からゆきさんのルポルタージュや研究書が現れた