不謹慎になるだろうか?

故人の話になります。

 

けれど やはり私にとっても とても興味深い体験なので書かせてください。

 

先月友人が亡くなりました。

生前から仕事上で私のサポートをしてくれていました。

ずっと私のサポートをしていきたいと 言ってくれていました。

あちこち書き散らす 私のブログも読んでくれていました。

 

彼女が亡くなって数日後 私のところに何度も訪れて

シャンバラでの私の仕事のサポートをしたい、と。

彼女はシャンバラで学校に通うとか家を建てるとか

そういうことはしていませんでした。

 

何度もそう訴えるので シャンバラに入れるのかどうか

聞いてもらいました。

答えは 「人による。」

入れる人もいれば 入れない人もいる。

 

そんな話をした直後に アメリカからの友人と会食しました。

その友人からお土産をいただきましたが

それは あるブランドの紅茶。そのブランドはまさに故人が働いていた会社。

さらに その紅茶の商品名は「MOMOKO」という桃の紅茶でした。

故人のニックネームは まさに「桃」

 

これが 答えだったのですね。

ちゃんと現実に反映してもらった答え。

「入れます」ということだと 了解しました。

 

そしてまた 故人がとても喜んでいるという 感覚を持ちました。

告別式では 他の友人に 哀しまないで。というメッセージを送ってほしいと

頼まれた(ような気がする)ので 数人の親しい友人に

彼女は アストラルの世界に行って そちらで仕事をすることになった。

以前からとても興味がある やりたいことだったので とても喜んでいる。

だから 哀しまないで。

そう 伝えました。

ものすごく変な人に見えるのは承知で。

 

いや 実際

彼女はとっても喜んでいる。(と思う)

生前からエネルギーの強い人で

いろんなものを感じる そういう能力を持っていた。

 

さらに 彼女の喜びが 現れる出来事が・・・

フェイスブックでは 彼女は偽名を使っており

家族もそのことは知らず その偽名を知っている友人も限られていました。

亡くなった後も

彼女のフェイスブックからの「いいね!」は 連発されている。

私だけにお知らせがくるのか?ほかの人たちは気がついているのか?

分かりません。

 

現実とアストラルがこれほど 一体になった体験はありませんでした。

そういう時代になったということなのでしょうか。

 

彼女は私よりもずっと若く 逝ってしまったけど 

現実を精一杯生きていて 突然こちらの世界からいなくなってしまった。

でも

「これこそが 一番やりたいことだったの」と

言っている(ような気がする)ので

こんなこともあるのかなあ、と 感慨深いです。

そう感じると よかったね、と温かい気持ちになれる。

 

私も シャンバラで強いサポーターを得たので

これからが楽しみです。