★日置俊次の歌集 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  ★日置俊次の歌集

 

 日置俊次(ひおきしゅんじ)は、歌人馬場あき子の弟子です。馬場あき子主宰の歌誌「かりん」の編集委員であり、プロの歌人です。これまでの歌集は11冊あります。そのうち電子書籍は1冊のみで、あとの10冊は紙の本です。

 

『ノートル・ダムの椅子』 角川書店 2005

『記憶の固執』 角川書店 2007

『愛の挨拶』 角川書店 2009

『ダルメシアンの家』 短歌研究社 2012

『ダルメシアンの壺』 短歌研究社 2014

『落ち葉の墓』 短歌研究社 2015

『地獄谷』書肆侃侃房 2018

『ラヴェンダーの翳り』書肆侃侃房 2019

『おまへに悪かつた』日置研究室 2021

『ウーシャントンクー』日置研究室 2022

『その波の炎を渡り』日置研究室電子版 2023 

 

 約12年前の『ダルメシアンの家』から、愛犬ルメが登場しており、現在に至っています。

 

 『ダルメシアンの家』と『ダルメシアンの壺』は装丁をほぼ同じにしているので、間違えやすいのですが、文字の色を変えたり、全体の色調を変えたり、帯を変えたり、細かい違いがあります。『壺』の方には、裏にルメの写真があります。同じ表紙だと言ってくる人がいますが、違うので、ちゃんと見てほしいと思います。中身はもちろん全く違います。

 

 読者というものは、細かいところを誰も見ようとせず、確認もしないということを学びました。ダルメシアンの歌で、連続性があることを示している装丁なのですが、読者はそういう受け取り方はしないということです。基本的にうわべしか見ないわけです。私もいつも他者の歌集の装丁をそんなにじっと見ているわけではないので、批判する立場にはありません。いまは自著の装丁に凝っていて、連続性を持たせながら、はっきり変化させていくという点について、研究しています。

 

 最初の歌集『ノートル・ダムの椅子』については、パリの生活を知らない人たちが知ったかぶりをして全く身勝手な解釈をしていることがあり、がっかりすることが多かったです。結局歌集は理解されませんでした。短歌の読者は、あまり文学の世界に慣れていない人が多いので、そこは気を付けないといけないということを学びました。作品を批評対象としてきちんと眺めるという訓練をしたことのない人が多いのです。

 それなら、文学研究者なら、短歌を読めるのかというと、専門の短歌研究者を除けば、学会の研究者たちは現代短歌について、はっきり言って何も知らず、俳句と短歌を混同するぐらいです。これは読者としては問題になりません。短歌を詠むことも、読むことも、長い訓練が必要だということを知らないので、あきれることが多いです。例えば、柔道をしたことがあるからと言って、空手もできると思うのは間違いで、全く考え方が違う世界なのです。もちろんそれを口にしても理解してもらえませんので、ここでつぶやくのみです。

 研究者には、小説家を研究する人が多いのですが、小説家でも短歌などを詠む作家は少なくないわけで、そういう部分がほとんどいつも軽視されている現状を悲しく思います。

 

 短歌は、小説家芥川龍之介や詩人宮沢賢治の場合でもそうなのですが、私の文学的創作の基礎をなしています。 

 

 私の場合、歌は泉のように湧き出してきます。

 それでも歌集を一冊出版するのは大変な仕事です。お金もすごくかかります。しかし、これからもどんどん歌集を上梓していくつもりです。基本的には、電子書籍で出版を続けていくつもりです。

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

歌集のアマゾン・リンクを張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天天快樂、萬事如意

  みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

    いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。