新聞の記事より 白血病と戦う少女の記録 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  新聞の記事より 白血病と戦う少女の記録

 

 毎日新聞(インターネット)に、「余命2週間の19歳 「楽しいこといっぱい」 家族と果たした約束」という記事が掲載されています。とても心を動かされました。ここに全文を引用させていただきたいと思います。ネットではすぐに記事は消えてしまいますので、ぜひ文章を記録しておきたいと思います。写真も1枚、掲載させていただきます。

 子供の頃から病に苦しめられてきた武川紗音(さやね)さんは、19歳の時、白血病で余命2週間の宣告を受けます。治療はもう不可能であると言われます。

 それ以降、丸亀城でお花見をしたり、バーベキューパーティーをしたり、日帰りで東京ディズニーランドに行ったり、楽しい思い出を作り続けました。ご家族の方の心のこもった献身的な看護があってのことです。お母様の咲子さんが紗音さんをモデルにし、看護の日々をもとにして作った絵本の原画展を開催中に、紗音さんは息を引き取りました。

 この記事を読んで、希望を持つことの大切さ、日々の時間の大切さを教えられました。いつも、いろいろなことを先延ばしにして、怠惰に過ごしてしまうことが多い自分を恥じました。

 2週間と宣告されても、4か月もがんばった生きざまはとても立派です。

 人生をあきらめず、病と闘い続けた紗音さんの勇気や、それを支えたご家族の方の愛の深さにも深く感謝申し上げたいです。

 心よりご冥福をお祈りいたします。読経させていただきます。合掌。

 

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余命2週間の19歳 「楽しいこといっぱい」 家族と果たした約束

9/16(月) 10:00配信 毎日新聞

余命2週間の19歳 「楽しいこといっぱい」 家族と果たした約束 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

笑顔を見せる高校2年生の頃の武川紗音さん=2021年6月(母咲子さん提供)

 

 医師から告げられた余命は、2週間だった。「楽しいことをいっぱいしたい」。そう語っていた19歳の女性は最期まで自分らしく生きることを諦めず、やりたかったことを実現させた。その一つが、自身をモデルにした絵本の原画展。家族と共にこの夏、開催にこぎつけた。

 

 香川県丸亀市の武川紗音(さやね)さんは、幼少期から相次ぐ病気の治療に臨んできた。兄と妹との3人きょうだいで、母の咲子さん(47)は「責任感が強い。頑固で不器用だけど、自分をしっかり持ち、家族や友達を大切にする子」と語る。

 

 最初の異変は5歳の時。咲子さんによると、2010年1月、紗音さんは肩や手首の痛みを訴え、次第に手が腫れてきた。近所の病院では原因がわからず、同県善通寺市の病院で国指定の難病「若年性特発性関節炎」と診断される。専門医がいる鹿児島の病院へ月2回、泊まりがけで通院し、小学5年からは大阪の病院へ通院を続けた。中学に入学した頃には病状も安定。コーラス部に所属し、友達もできて楽しい学校生活を送っていた。

 

 しかし、それは長く続かなかった。中学2年の1月に白血病が判明。医師から病名を告げられた咲子さんは「頭が真っ白になった」。帰宅し、家族5人がそろった場で報告した。その日の夜はリビングに布団をしいて、5人で一緒に寝た。

 

 中学卒業までの約1年の入院治療で白血病は症状が落ち着く「寛解状態」となり、紗音さんは通信制高校に進学した。ボランティア部に入部し、丸亀駅前の花壇の管理を任されることが学校に行くモチベーションになっていた。

 

 ところが、高校3年だった22年6月、白血病が再発して入院。咲子さんによると、紗音さんは我慢強く、治療のつらさをこぼすことはほとんどなかったという。長い入院生活を送る中、家で過ごしたいという思いを募らせていた紗音さんは23年2月の骨髄移植後、「今後何があっても、積極的な治療はしない。やっぱり家が一番いい」と宣言していた。その後、医師から治療の手立てがないため「治療の継続は困難」と告げられ、家族は本人の意思を尊重し、同年10月に退院させた。

 

 ◇動き出した家族

 

 余命が2週間だと宣告されたのは24年3月28日。退院時に「これからは楽しいことをいっぱいしたい」と話していた紗音さんの夢をかなえようと、宣告後、家族は動き出した。主治医を伴っての丸亀城での花見、自宅に友人を招いてのバーベキューパーティー。紗音さんは言葉を発することは難しくなっていたが、車椅子に乗って静かにその光景を見つめていたという。「2週間」となる4月11日を越えた同月18日には、日帰りで初めて東京ディズニーランドに行った。6月1日には家族だけで25年1月の20歳の成人式を前もってお祝いした。振り袖をイメージしたケーキを前に、記念写真を撮った。

 

 ◇約束の絵本原画展

 

 紗音さんと咲子さんが約束していたことの一つが、紗音さんをモデルにした絵本の原画展を開催することだった。

 

 咲子さんは娘を看護する日々の悩みや希望をノートに書き留めていた。それをもとに、23年秋に絵本「わたしはひとりじゃない」(みらいパブリッシング)を出版した。長期入院を「冒険」にたとえ、白血病とさまざまな合併症に向き合う少女と、支える家族や仲間たちとのふれあいを描いた物語だ。咲子さんは「命の尊さを発信しようと書き上げた」と振り返る。挿絵は、紗音さんのいとこで、高校で美術部に所属する緒方花夏さん(18)が担当した。紗音さんの姿に「自分も負けられない」と力をもらい、一緒に遊んだ時の紗音さんの笑顔を思い出しながら描いたという。原画展は宣告された余命を大幅に越えた7月1日に丸亀市でスタートした。

 

 入退院を繰り返していた中高時代から「支えてくれた人に感謝を伝えたい」と語っていた紗音さん。原画展の開催が実現した時はもう動くことができず、ほぼ一日中眠っている状態だった。原画展に出かけることはかなわなかったが、咲子さんは会場の様子を撮影した写真や動画を紗音さんに見せて、報告した。

 

 ◇握った手、離した瞬間

 

 原画展開催中の7月27日早朝、咲子さんは、隣で寝ていた紗音さんの呼吸が弱くなっていくことに気づいた。親類に連絡をしようと握っていた手を離した瞬間、紗音さんは「ふー」と一息つき、そのまま静かに旅立った。咲子さんには「19年の人生を生ききった」表情に見えたという。

 

 「皆に支えられて、紗音はたくさんの夢をかなえることができた」とほほえむ咲子さん。「どんな状態になっても、自分らしく生きる人生を諦めない」。そんな強い意志を、娘の姿から学んだ。【川原聖史】

 

 

 

天天快樂、萬事如意

  みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

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