ルメはなぜ死んでしまったのか | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  ルメはなぜ死んでしまったのか

 

 愛犬のルメはなぜ死んでしまったのでしょうか。

 私にはわかりません。

 16歳半も生きたら、大変な長命ですので、死ぬのは当たり前だといわれるかもしれません。

 その通りかもしれません。人間なら115歳ぐらいでしょうか。普通は生きていられません。

 ルメは立てなくなっていましたし、だんだん水も飲めなくなっていきました。

 水はシリンダーであげていましたが、こうやって衰えてしまうと、死んでいくのも自然なことなのだろうと思います。老衰というものです。

 しかしまだわからないのです。

 なぜルメは死んでしまったのでしょうか。

 何度も何度も考えます。

 これは理屈ではなくて、とにかく私が納得できないことなのです。

 死ぬのは当たり前だと何度言われても、私は考えます。

 なぜルメが死ななければならなかったのでしょうか。

 どうして生きているものは、いつか死ななければならないのでしょうか。

 私は霊界のことも勉強していますし、転生や臨死体験のことも、仏教の思想についてもかなり詳しいのですが、理屈ではなく、感情として、ルメが死んだということが理解できません。

 宮沢賢治は妹のトシが好きで、トシが結核で亡くなっても、死んだということが信じられずに、たくさんの詩を書き、トシの魂を求めて、樺太まで出かけました。

 そして「銀河鉄道の夜」という作品を書き、黄泉の国を走る機関車を描き、ジョバンニとカンパネルラの別れを描きました。

 賢治はとにかく納得できなかったのです。トシが死んだことは許せなかったのです。私も同じです。納得できません。

 父や母が亡くなったときは、病で死んでいくところをずっと見ていましたので、亡くなったら、やっと楽になれたねと思ったものです。

 しかしルメに関しては、死んでしまったことが、ずっと納得できないままでいます。宮沢賢治が実はひとびとに理解されていないように、これは、大切な存在を失ったことがないひとに話しても理解してもらうことが難しいだろうと思います。しかし、それが私の正直な気持ちです。

 私はまだルメの死は理解できませんが、しかしちゃんとルメの供養はしています。それはまた別の話なのです。これも多くの常識的な人には理解できないことかもしれません。私はいつもルメに話しかけています。

 ルメは初盆を迎えています。

 

 合掌。

 

 

天天快樂、萬事如意

 みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

   いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。