せいくらべ
昨日短歌の授業をしていました。学生の中で、毎年、「柱に身長のしるしをつけてきて、たくさんの線が柱に残っている」という意味の短歌を作った学生がいました。
そこで、私は、こういう歌があるよと言って、「せいくらべ」を歌って聞かせました。
ところが教室で、全員が、聞いたことがない歌だと言いました。
その歌をみんなが知らないということは、これはいつも起こることです。流行歌などではなく、みんなが知っているとおもわれる昔の唱歌を歌うのですが、誰も知らないことがよくあります。
例えば、「出た出た月が まあるいまあるいまん丸い 盆のような月が」という歌を知っている学生が一人もいないのです。「ぽっぽっぽ はとぽっぽ」という歌も知らない学生がいるのです。「もしもし亀よ」も知らない学生がいます。こういうことはよくあるのです。
しかし「せいくらべ」は、知っている学生がまったく一人もいないということを認識し、私は愕然としました。この曲はとてもいい曲だと思います。一人ぐらいは知っているだろうと思っていたのです。今でもそこここでよく流れていると思うのですが、若者は聞いたことがないのですね。
「せいくらべ」は、作詞 海野厚 作曲 中山晋平で、1919年の作品です。学生たちに聞くことを勧めたいのですが、唱歌としてよく知られています。これを誰も聞いたことがないという現象は、たぶん20年前には考えられなかったと思います。
5月になると、スーパーなどでもこの曲が流れていた記憶があります。5月の代表的な曲だと思っていました。この頃のスーパーは音楽をかけないのかもしれません。
それにしても、ちょっと忘却のスピードが速すぎる気がします。唱歌も大切な文化財なので、守っていきたいものです。風俗が変わり、羽織も粽(ちまき)も知らない学生がいるとは思いますが、そういう意味でも、昔の歌は残したいものです。端午の節句になぜ粽を食べるのかという点については、中国では哀れな話があるのですが、それを知らなくても、こうした唱歌は少し聞いてみてほしいと思います。
はしらのきずは おととしの 五月五日の せいくらべ
ちまきたべたべ にいさんが はかってくれた せいのたけ
きのうくらべりゃ なんのこと やっとはおりの ひものたけ
はしらにもたれりゃ すぐ見える とおいお山も せいくらべ
くもの上まで かおだして てんでにせのび していても
ゆきのぼうしを ぬいでさえ 一はやっぱり ふじの山
どんどん時代は変化していきますが、これは残すべき歌ではないでしょうか。柱に身長の線を残したりする現象は存在しているのですから、歌も一緒に残してほしいものだと思います。
みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。
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