クビキリギスの文学論
なぜか最近、私のこの記事が読まれていますので、再掲しておきます。
タイトルが変なので、興味を惹くのでしょうか。
内容はごく一般的な解説と、芥川龍之介「羅生門」に関する仮説です。
クビキリギスは、キリギリスの仲間であると思います。全体に似ていますね。
羅生門にはこういう緑のキリギリスがとまっていたのですが、何故か教室でも学会でも、それがコオロギのことだと誤解されています。きちんと説明しても誰も理解しません。思い込みは恐ろしいものです。
クビキリギスは噛まれるとあぶないので、気を付けなければなりません。
今夜、家の雨戸(シャッター)を下ろそうとしたら、クビキリギスがいました。
なぜクビキリギスとわかるのかというと、口の色です。
赤い口、つまりアゴですが、赤いアゴを持つキリギリスの仲間は、クビキリギスぐらいのものです。
アゴというか、口が紅いので、クビキリギスは「血吸いバッタ」と呼ばれるそうです。
しかし赤いだけで、血を吸うことはありません。
クビキリギスのアゴ(口)はとても力が強いので注意が必要です。
一度噛みつくと、なかなか離さず、無理に引っ張ると、からだがちぎれて首だけ残っているそうです。
そのために「クビキリギス(首切螽斯)」と呼ばれます。
「首切」というのは、自分の首を切るのですね。なかなか意志が強い虫です。
さて、クビキリギスは、11月の東京のふつうの民家の、窓に垂直にとまっていました。
垂直に、こういうところにとまるのは、コオロギにはどうも無理ですね。
芥川龍之介の「羅生門」の中に、もう夜寒の秋となっている時期の羅生門の柱に、きりぎりすがとまっていると書いてあります。たぶん11月ぐらいです。
定説ではこれは、コオロギのことだとされています。
私は、キリギリスのことだと思います。
コオロギは垂直面にとまれません。色がくろっぽいです。
キリギリスは垂直面にしっかりとまります。いろは緑です。
芥川は、赤い柱と緑のコントラストを描き、「アリとキリギリス」の話のように、冬が近づいて居場所のなくなるキリギリスを印象付けようとしたのではないかと思います。
この虫という小道具は、のちに、芥川を尊敬していた横光利一が「火」という小説で重要な意味を持つ存在として、描き出します。それはメスのウマオイ(すいっちょん)ですが、ウマオイもやはり美しい緑色をしています。このクビキリギスに似ています。
今日はクビキリギスとの出会いから、文学の問題を考えてみました。
以上は私が撮った写真ですが、ネットからお借りした写真を追加します。
この口は怖いですね。
皆様のご健康をお祈りいたします。
そして皆様に、すばらしい幸運や喜びがやってきますように。
いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。



