かりん6月号の歌 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  かりん6月号の歌

 

 かりん6月号が届いたので、まず私の歌をご紹介します。

 

  アインシュタイン     東京   日置俊次

 

母パウリーネは音楽家なり五歳よりわがアルバートはヴァイオリン弾く

母のピアノにヴァイオリンあはすアルバートふたりで演奏楽しむ日々よ

人生の喜びはヴァイオリン弾くことと語るアルバートその微笑みよ

正しさが認められざる日々の底にベートーヴェンを繰り返し弾く

ヴァイオリンにリナと名付けて可愛いがるアルバートいつもの蓬髪のまま

Paulineを略してLinaとせしことへわれはひそかに拍手送らむ

ベートーヴェンのクロイツェルソナタ日本にて演奏したり歓びとして

モーツアルトが聞けなくなること 死の定義聞かれて即答せしアルバート

 

 アインシュタインは、母親譲りの音楽家であり、モーツアルトやベートーヴェンを愛していました。アインシュタインの理論はなかなか認められなかったのです。

 真実を言っても認められない日々が続いた時、音楽は彼を深く慰めたものと思われます。

 ちなみに、ペットは犬と猫を飼っていました。犬の名前はチコです。モフモフの犬です。アインシュタインがあまりにも多くの郵便に悩まされているので、チコは怒って、郵便配達員に噛みつくのだと嬉しそうにアインシュタインは話していました。

 私も、いつも正しい論文の新説が全く認められないので、何度も落胆しましたが、音楽にも慰められましたし、とにかくその度に愛犬に慰められました。愛犬がいなければ立ち直れなかったと思います。

 

 次に、台湾からやってきている黄郁婷(ファン・ユーティン)さんの歌を引用しましょう。

 

   針目       東京    黄郁婷

 

コロナ渦は終わってないのにみなマスク外して終わった振りで生きてる

オンライン勤務はすべて廃止され朝より満員電車に揺られる

引きこもりの私には朝の山手線がつらすぎるとても生きていけない

疲れきり家にたどり着き寝てしまう顔もしっかり洗わず眠る

ものもらいになって激痛走る日々奪われるだけの日々のはずだが

眼帯をして眼鏡して満員の電車に乗ればねじれる空間

ものもらい台湾では「針目」と呼ぶ刺されたようにチクチクするから

 

 黄さんはよく頑張っていますね。ものもらいにかかってひどい目に会ったそうです。ものをもらっていない日々で、ただただ職場で奪われるだけという生活なので、ものもらいといわれると違和感があるそうです。台湾では針目と呼ぶのだそうです。麦粒腫という言葉は使うのかどうかお聞きしたら、そういう表現はあるけれど、めったに使わないというお話でした。毎日の出勤で疲れ切っていてなかなか短歌ができないと嘆いていました。

 

 次にドイツの溝口シュテルツ真帆さんの歌を引用します。

 

  空瓶のカタツムリ         ドイツ    溝口シュテルツ真帆

 

物音もたてずに交わるカタツムリと我だけがいて午後は過ぎゆく

カタツムリこの静けさなら這う音が聞こえはせぬかと耳寄せてみる

空瓶の上を目指してカタツムリかりんと落ちてまた上りおり

気まぐれに着たジャケットのポケットの古いおしゃぶりに触れている春

懐かしさが痛みを伴うようになり我が人生も後半戦なり

雲の上はいつでも晴れていることを忘れそうになる欧州暮らし

落ちてきた雫を手に受け君笑うそれはまるで天からのキス

 

 溝口真帆さんもよく頑張っていることがわかります。歌からは、蝸牛と対話している静けさが、さびしいながらも充実もしている感じで、生活の雰囲気が伝わってきます。子供たちが昔使っていたおしゃぶりが、ポケットに見つかったという歌も、いいですね。時間は流れ、子供たちは成長していきます。「懐かしさが痛みを伴うようになり我が人生も後半戦なり」という感懐はよくわかります。味わいがありますね。

 

 黄郁婷さんも溝口真帆さんも、母国を出て、海外における生活に悩んだり、とまどったり、また楽しんだりをくりかえしていますね。いつも心から応援しています。

 

 

皆様のご健康をお祈りいたします。

   そして皆様に、すばらしい幸運や喜びがやってきますように。

      いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。