「あらしのよるに理論」 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  「あらしのよるに理論」

 

 これは、「トムとジェリー理論」を補うために、私が教室で説明している理論です。

 「トムとジェリー理論」では、敵対する天敵が、お互いに好意を示し、公然と和解してしまうとそこで物語が終わってしまうため、いつも追いかけっこをくりかえしていなければならないというお話をしています。その背後には、共感があり、信頼があり、絆ができているのですが、それはあくまで背景に隠されたものとして存在しています。

 ところが、アニメーション『あらしのよるに』では、オオカミのガブと、ヤギのメイが、仲良くなってしまい、追いかけっこをしなくなります。これでは、そこで物語が終わってしまうわけです。

 ところがこの場合、仲間の手前、ガブはヤギと付き合っているとはいえず、メイはオオカミと付き合っているとはいえず、いつも関係を隠しています。変人といわれてしまうからです。そしてその関係がばれると、その世界にいられなくなります。追い出されてしまいます。ちょうど不倫の恋に悩む男女のようです。ほとんど、社会から糾弾されて、肩身の御狭い思いをする男女です。これは夏目漱石の「門」の宗助夫婦などがそうですね。しかしそれよりも、集団によるいじめと排斥はもっとたちが悪くて、二人は命をかけて冬山を越えて、ユートピアと思われる新天地を探します。二人は迫害され続けるのです。

 また、ガブは二面性を持っており、本能に従うガブが表に出てくると、メイを食べようとします。つまり、ガブはいつメイを食べてもおかしくないという危険性をはらんでいます。友達なのにおいしそうという思いをいつも持っています。

 つまり二人の間の関係は、常に不安定なハラハラドキドキの要因に包まれているわけで、要するに、全体として、完全な和解とか仲直りという関係が成立していないと考えられるわけです。

 最後に、二人がオオカミもいない、ヤギもいないユートピアを見つけ、そこで記憶を失っていたガブがもとのガブに戻り、メイを抱きしめるまで、物語は継続するわけです。そして、やっと初めて、遠慮なく仲良くなれた二人が月を眺めるところで物語は終わります。

 

 「あらしのよるに理論」が教えてくれることは、「敵どうしが仲良くなる」という時には、関係の安定性が求められるわけで、関係が揺れ続けて、しがらみから抜け出せず、紛争が起こり続けている環境では、それは追いかけっこが続いているのと同じような緊張感が生じるということです。ガブとメイの、本人たちが仲がいいと思っていても、それが周囲に認められず、世界から追い出されてしまい、また社会に糾弾され、いわゆる「道行」と呼ばれる自殺への行程をたどり、しかも命を狙われて追撃を受けるというような環境では、「仲直り」というようなものは成立していないとみなされるのです。ガブ自身にもずっと「食べたい」という揺れがあるので、その揺れが静まらなければ友情は成立しません。つまり、ある意味で、トムとジェリーの追いかけっこが続いているのと同じなのです。その間は物語が継続します。

 

 ガブとメイが別世界、どこにもないユートピアをやっと見つけて、そこで仲良く暮らしたというラストシーンは、比喩的にいえば、二人とも死んであの世に行って、天国で仲良く暮らしたという形式と同じであり、二人は実際に命を落としているかもしれないのです。ある意味で、それは物語の終点を意味しています。

 

 物語がこのような終点に突き当たらないためには、トムとジェリーがいつまでも追いかけっこをくりかえしているという、この喜劇的な形式が守られていく必要があるのです。

 

 もちろん、『あらしのよるに』のラストシーンは、世界のどこかで、ガブとメイがいつまでも仲良く暮らしているだろうと思わせるような、永遠性をはらんでいることも確かであり、それはそれで面白いのですが、「トムとジェリー」の構造に比べると、やはり終点を抱えているのではないかと思われるのです。「トムとジェリー理論」の一つの応用、展開のかたちとして、このように『あらしのよるに』のヤギとオオカミの関係がありうるということが、「あらしのよるに理論」の内容です。基本となるのは、トムとジェリーの構図であり、その変形として『あらしのよるに』の構図が可能になるのです。

 ここでは私の「飛び落ち理論」も絡んでおり、落ちることと飛ぶことが同時に表現されることによって緊張感とリアリティが持続するという、物語方法の応用がなされているわけです。

 また、メイが「私たちよく似ていますねえ」と繰り返すように、メイとガブは実は分身関係にあります。集団の中で浮いてしまう、ある意味では落ちこぼれなのです。「分身構造理論」と「トムとジェリー理論」の組み合わせとして、『あらしのよるに』は成立しています。

 『あらしのよるに』の素晴らしいところは、集団になじめないものが排除され、オオカミはオオカミに迫害され、ヤギはヤギに迫害されるということ、集団は個の個性を認めないということを、はっきりと描いているところです。これはもちろん人間社会の恐ろしい現実を表現しており、その批評精神を私は高く評価します。

 「あらしのよるに理論」は、一匹のヤギを迫害するものはヤギ集団であり、一匹のオオカミを迫害するものはオオカミ集団であるという、忌むべき排除の理論も含んでいます。

 

 

天天快樂、萬事如意

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