薄っぺらい批評 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  薄っぺらい批評

 

 作品を読まないで、すぐに否定しようとしたり、作者のことを調べないで、すぐにその作者を否定するのは、薄っぺらい批評です。批評というより誹謗中傷です。

 私にろくな大学も出ていないくせにとか、外国のことを何も知らないくせにとか、いろいろ批判をしてくる人がいますが、ちゃんと調べないのでしょうか。

 確かに東大はろくな大学ではないかもしれません。しかしそれならその人の出た大学はどこなのでしょうか。フランスは外国ではないのでしょうか。パリ大学はだめな大学なのでしょうか。大学とか外国とか、その人の本質的な価値に何か関係があるのでしょうか。

 マウントを取るということには、私は興味がありません。私は最底辺の人間なので、もちろん誰かのマウントを取るということは考えませんし、誰かが私にマウントを取ったところで何の自慢にもなりません。地面を踏んで、地面のマウントを取ったと言って喜んでみても、何になるのでしょうか。

 

 私は文学の世界に生きており、ただ最底辺の淵の底で、祈りをささげ、心を込めて文学作品を生み出していくだけです。

 

 とにかく、世の中には、相手にする価値のない批判というものが存在します。価値がないというよりも、有害だと思います。

 一番腹が立つのは、ルメなんて言う犬は存在しないと言ってくる人間です。

 ルメは私の命の一部であり、とても許せる発言ではありません。あまりにも軽薄で愚かすぎる批判です。そういう人間こそ、紙よりも薄い存在であり、あまりに薄っぺらすぎて、この世にいないのと同じなのです。

 

 自分は何もしないでいるくせに、努力している人たちを口先だけで否定する詐欺師たちがいます。他人の努力を否定しても、その人の怠惰の弁護にはなりません。私はそういう類の薄っぺらいひとびとが好きではありません。

 

 2年前の記事を再録します。

 

薄っぺらい批評

 

 私の歌集は、愛犬ルメの歌でいっぱいです。

 それを見て、「そんな犬がいるはずがない」「ダルメシアンなどいない」「ルメなど存在しない」と言いふらしたり、実際に私に言ってくる人がいます。

 

 この発言は2つの点で間違っています。

 まず第1に、架空の犬を歌に詠んだら駄目だという発想です。

 架空の犬でも猫でもゴリラでも、必要があるなら、歌にしていいのです。

 あまりにも視野が狭すぎます。

 第2の間違いですが、ルメが存在しないと嘘を言っている点です。ルメは存在しています。

 もしルメが存在しないなら、私のインスタグラムに載っている1万枚を超える写真や、動画は、私が合成して作ったということになるのでしょうか。

 

 そうすると私はものすごい天才だということになります。東京の四季折々の風景のなかで、存在しない犬をあれほどリアルに緻密に合成して映し出したら、ほとんど神の領域です。その画像構成力は宮崎駿さんを越えており、テレビ局が取材に来るはずです。

 しかし、そもそもルメに対して存在しないなどというのは、ルメに対する誹謗中傷であり、ルメの人権が著しく踏みにじられています。

 そう言う批評には悪意があり、私を誹謗中傷しようとする意図があります。

 しかし、結果は、自分の自信のなさと人間としての薄っぺらさをさらけ出すことになっているのではないでしょうか。

 

 ルメのインスタグラムは、rume.cutie で検索してみてください。

  みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

   いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。