授業の中の疑問符
毎日若い人たちに触れていると、いろいろなことがわかります。若いひとたちの知っていること、若い人たちの知らないことがわかります。これはとても勉強になります。
前にも触れましたが、若い人は作家の名前をほとんど知りません。ほとんど本を読まないのです。
三島由紀夫を知っているかと聞いたら、教室の大部分の学生が知らないと答えた。
川端康成を知っているかと聞いたら、教室の大部分の学生が知らないと答えた。
日本文学科の学生が、知らないのである。
以前の記事の中でこういうことを正直に書きました。すると天才写真家の岩谷薫氏がコメントをしてくださいました。
これは、目が点になりました…! もう世代交代かとも思いました…笑
(こんな人達なら、私の『亡くなる心得』は難しかろ…とも思ってしまいました…)
はい。全くその通りです。『亡くなる心得』は若い人には難しいです。また岩谷氏のブログも、よく説明を省略しているので、難しいと思います。
授業をするときは、毎回、とても苦労します。もちろん、神経の太い教員が大部分で、学生の都合に関わらず自分の研究内容を話して終わるという人が多いので、それなら何も苦労は生じないのですが、私は授業をしていて、学生の顔に「?」という疑問符がともるのを感じるタイプです。そうすると、いちいち説明を加えていくのです。またいろいろな工夫を重ねます。
私は、授業の中で疑問を感じたら、それを大切にしようといつも呼び掛けているからです。
あるとき、「月」という日本の伝承歌について、説明をしました。
出た出た月が まあるいまあるいまん丸い
こういう歌です。皆さんご存知ではないでしょうか。私の感覚では、日本人なら必ず知っている歌です。私は教室で歌って見せました。
そして「この歌知っているでしょう?」と学生に聞きました。
学生は教室に百人ほどいましたが、誰もこの歌を知りませんでした。
私はそれからは、黒澤明の映画『まあだだよ』を少し上映して見せて、「こんな感じで、みんなが知っている歌なんだよ。」と説明することにしています。この「月」は、『まあだだよ』のポイントとなる歌だからです。
「月」という歌に関する説明が、教室の全員に必要だなどと、私の世代のだれが考えるでしょうか。
若い人たちの中では、例えばこういう学生も多いです。私は宮崎駿のアニメーションが好きで、よくその話をします。するとこういう苦情が来ます。
「となりのトトロって何かわからないから、しっかり説明してから、授業を進めてほしい。メイちゃんって誰のことですか」
「風の谷のナウシカとは何のことなのかわからない。ナウい鹿のことか。オームって何?鳥のこと?」
皆さんはどう思われますか?
どんな時代になろうと、何も考えず、自分の都合のいい話だけして終わる授業をする教員なら、何の支障もありません。
しかし、学生のことをいろいろ気遣うタイプの真面目な教員にとって、授業をするということは、ものすごく大変な仕事であるという点が少しは理解できますでしょうか。
天天快樂、萬事如意
みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。
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