かりん1月号の歌  黄郁婷  溝口シュテルツ真帆 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  かりん1月号の歌  黄郁婷  溝口シュテルツ真帆

 

 「かりん」1月号掲載の詠草から、 黄郁婷(ファンユーティン)と溝口シュテルツ真帆の歌を引用します。

 台湾や、ドイツからの便りを、こうして毎月、短歌で読めるということは、なかなか有意義な経験であると思います。当たり前のことではありません。

 青山に「私はドーナッツ?」というような名前のドーナツ屋ができて、ずっとすごい列が続いています。これが何なのか、私も気になります。別に本店があるようですが、そこではこんな列ができていないそうです。アオヤマという環境とむすびついて、トレンドとなるような流れがあるらしいです。

 台湾だと、おいしい店に列ができます。それはおいしいからです。そこで待っている人たちは、おいしいから仕方がないという顔で待っています。これは日常の中に深くしみこんだ習慣で、そこにもここにも列ができています。列に並ぶ人たちは幸せそうです。

 青山のドーナツは少し違いますね。写真を撮っている人が多いですね。あまり幸せそうには見えません。おいしいという話は一度も聞いたことがありません。とても高価です。何かいびつなものを感じます。

 タピオカミルクティーは台湾のソウルドリンクといっていい飲み物ですが、タピオカは食べるので、ソウルフードともいえるでしょう。青山や原宿ではこのタピオカが、一時大流行でした。それはものすごかったです。そして高価でした。しかしすぐに消え去りました。日本人は、これを珍奇なゲテモノのように、もてはやしたのでしょうか? そしてすぐ忘れたのでしょうか?

 台湾出身の黄郁婷の歌にはいろいろ考えさせられます。

 

 ドイツに住む溝口真帆の、お母様が逝去されたようですね。もちろん日本で亡くなられたのです。心より哀悼の意を表します。自分の母と、そして今、母として懸命にドイツで子育てしている自分の姿を重ねながら、何かその板挟みになっているようなつらさがありますね。ガザの戦乱も、近いところの話として深く感じているようです。

 しかし、溝口真帆の歌には、どこかにユーモアが残されており、読者にはそれが救いになっています。ひそかに真帆を応援している読者は多いですよ。歌を詠み続けてください。

 

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    台湾の魂          黄 郁婷

 

青山に去年オープンのドーナツ店いまも人気の続く不思議さ

延々と列が続いて派手な服着るひともならぶ青山通り

友人はみんな高いと苦情言うミスドの方がよほどうまいと

フルーツやチーズのケーキをドーナツの皮で包めばひとが群がる

ドーナツではないものをドーナツとして売るアオヤマの看板掲げ

タピオカもこんな感じで売れたのか台湾のソウルはどうでもいいのか

冷房の効きすぎていたオフィースの十一月の足の寒さよ

 

 

   抜け殻         ドイツ    溝口シュテルツ真帆

 

こんなのを二十回もやったのかよ子どものぐらつく歯におののいて

抜け殻のような家に取り残されて子らのベッドはまだ温かい

目指すのはミニマリストと嘯いて抱っこ紐すら捨てられないのに

懸命に我の白髪を君は抜くさすれば老いぬと信じているから

肉体を抜け殻のごと取り残し母は向こうへ行ってしまった

さよならは言ってあるからもういいよ向こうで待っててそのうち行くから

地続きの東国でまた火は興る躓きの石もすり減っており

 

皆様のご健康をお祈りいたします。

   そして皆様に、すばらしい幸運や喜びがやってきますように。

      いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。