いかにも良心的人権派のような顔をして
世の中には心のひねくれた群衆(沙悟浄)がいます。厄介なのは、この沙悟浄たちが、割と権力や影響力を持っていることです。彼らは、いかにも良心的人権派のような顔をして理屈をこね、ものを言います。
いかにも良心的人権派のような顔をしてものをいう人が、実は全く逆で、ナチズム的に人を支配して人権を蹂躙する思想を奥に隠しているという例を、これまで身近で見てきました。私は信用しません。口では何とでもいえるものだなあという思いを、消すことができません。
世の中には、口先と演技だけで生きている沙悟浄がいるのです。
私の愛犬ルメに対しても、足の悪い犬を散歩させるのはかわいそうだとか、残酷だからやめろと叫んでいた沙悟浄たちが、あちこちにいたのです。最近あまり出てこなくなりましたが、なぜでしょうか? ルメがいまも歩いているので、ウソがばれてしまい、出てこれないのです。沙悟浄たちは、「ルメはもう歩けない」「ルメはもう終わった」というレッテルを張ったのです。
私のルメはもう16歳、人間なら110歳です。年をとって、これまで、何度も何度も歩けなくなり、立てなくなり、そのたびに私がリハビリをして、歩けるようになるという繰り返しの生活をしてきました。すべて正直に、インスタグラムに記録してあります。
犬にも調子の悪い時といい時があります。波があります。歩けたり、歩けなかったり、走ったり、何年もそんな繰り返しです。
一回立てなくなったからといって、「はい、散歩は中止です、寝たきりになりましょう。そしてすぐ死にましょう」という流れで犬を扱うのは、本当に犬に対する愛があるのでしょうか。
ルメも、もしそういう扱いをしたら、すぐに寝たきりになり、そしてすぐ死ぬでしょう。楢山に老人は捨てろという発想です。それが良心的人権擁護派の沙悟浄たちの善人ぶった狙いです。まったく悪魔的です。
ルメを散歩させて残酷な飼い主だといわれたことは、私は忘れません。私とルメの人生をすべて否定するような、そういう言葉は許すことができないのです。私は誠心誠意、ルメの世話をしており、ルメをかわいがっています。
口だけではなく、実際にダルメシアンを飼って、16歳になっても歩けるように、そして16歳でも美しい毛並みのままでいるように、ケアをし続けることがどれほど大変なのか、わかっているのでしょうか。それが自分にできないのに、勝手に口を出すのがどれほど愚かなことか、理解できないのでしょうか。無知と言うものは本当に恐ろしいものです。
人間の介護に関しても、例えば、一生懸命、老親を介護している息子や娘がいるというケースを聞きます。ほかの兄妹たちは知らん顔です。たまにやってきて、批判を繰り返し、ちゃんとやれと命令をし、いろいろ勝手な注文を付けて、親が死んだら遺産はおれのものだといいながら、去っていくというケースです。私はこういう話が嫌いです。外野で勝手なことを言うのが、口だけの沙悟浄たちです。
歩くことは希望なのであり、歩きたいというのは生きたいという意思です。歩けなくなると、希望を失ってしまう場合があるのです。
サゴジョウは無知と無責任の結合した存在ですが、ちゃんと責任を持ち、自分の言葉の通りに生きてほしいものです。サゴジョウが一度でも立てなくなったら、散歩は禁止であり、すぐ座敷牢に閉じ込めて外には出さず、寝たきりにして、光にあてず、なるべく早く死なす。こういう形で人生を終わるのがいいでしょう。自分がそう主張したのです。まず自分に適用してください。
下の動画は、今日の夜のお散歩の様子です。急にルメが走り出したので、うまく撮影ができませんでした。動き出すまで、じっと立ったままだったのです。
ルメを散歩させるなと沙悟浄が叫んでいたのは数か月前ですが、まだルメは歩いていますね。そして生きています。予想が外れました。
ルメは歩けるうちは歩きたいのです。
私はもし自分が年老いても、歩けるうちは散歩に出て、風を感じたり、日の光を浴びたいものだと思っています。
ルメも同じです。杖をついてでも、森を歩いたり、池をめぐったりしたいのです。16年もの間、そうやって、生きてきたのです。そうやって、健康と長寿を楽しんできたのです。この動画を見て、ルメがかわいそうだ、無理に歩かされて拷問だと、皆さまは思いますか? ルメの表情は、悲しみと不幸によって、えんえんと泣いているような顔つきでしょうか? それとも、自分の意志で歩いているものの表情でしょうか。
犬の表情など小学生でも感じ取ることができます。悪意のあるサゴジョウがいくら嘘で塗り固めたことを主張しても、通用しません。
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