例えば2019年(令和元年)の出生数は約86万人。1973年(昭和48年)は、約210万人。
時代を比較すると、現在ではどんどん大学の入試が楽になってきているといわれる。それは様々な数字が証明している。子供の数が減り、おおまかには、私の子供時代と比べて3分の1になっていると言ってよい。そして一方で大学の定員が増えるというのが、このところの流れである。いまは全入時代ともいわれるのである。
私の子供のころは、実に子供の数が多くて、余っていたといってもよい。予備校や塾も満員で、子供は今のようにお客様扱いはされず、ごみというか、ほこりというか、無給の使用人のような扱いであった。いくらでも代りがいたからである。とにかく子供が多かった。
子供が少なくなると、学生のレベルも、すこし低くなっている傾向があるのではないだろうか。日本文学科の学生でも、夏目漱石を読んだことがないとか、三島由紀夫を知らないとか、ごく普通の話である。漱石を論じるので、漱石の作品を読んでくださいと言っても、まったく読まない学生が多い。読まなければ漱石論を聞いても分からない。わからないと面白くない。おもしろくない理由は興味の不足と努力不足だとはっきりしているのに、他人のせい、授業のせいにする。やる気のない学生が多い。全員がそうではないが、こういうケースはどこでも一般的である。
もちろん一生懸命勉強している真面目な学生もいるが、手抜きの学生が多い。日本文学科に来ているから文学が好きかというとそうではない。文学が好きでもない学生には、作品を読みたいという気分が存在しない。だから読まない。しかし漱石を読んでいないと、漱石論は理解できないし、教員になっても漱石の授業はできない。しかしそのまま教員になれてしまう。いま、大人数の子供たちであった世代がどんどん退職する時期になっていて、一斉にポストがあいて、教員不足である。
日本がだめになった、国際競争力が低下したといわれるが、子供がお客様になってしまったことも、影響があるのではないだろうか。ある程度の、受験などをはじめとする競争というものは必要なのではないだろうか。ある程度の競争がないと、競争力というものは減っていくのである。それが幸せにつながるとは思えない。
子供の数が減っただけではなく、当たり前のことが、今は当たり前ではなくなったようである。
皆様のご健康をお祈りいたします。
そして皆様に、すばらしい幸運や喜びがやってきますように。
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