曖昧な話、言葉のないコミュニケーション | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  曖昧な話、言葉のないコミュニケーション

 

 私には霊感がないので、神仏とあいまいな形でしかお話ができません。

 なんとなく感じるというレベルでしかありません。

 龍神様のお好きなものというと、お酒と卵ぐらいしか思いつきません。

 お酒にも龍神様のお好きな種類があるようですが、自分がお酒をあまり飲まないのでよくわかりません。それで簡便な紙パックのお酒を使用しています。

 以前は、卵を池に流したりしていましたが、環境の問題があるので、いまは用いません。

 こういうたとえ話をすると、不敬だと怒る方がいるかもしれませんが、私の愛犬の話をします。愛犬は私にとってとても大切な存在であり、何かを貶めようとして話しているのではありません。

 愛犬のルメは、日本語を話しません。私は日本語でいつも話しかけていますが、ルメからは言葉による返事はないので、話をするときは、あいまいな形になります。なんとなく感じるというレベルで、心と心の会話をしています。それから、もともと耳が悪いので、話してもルメにはあまり聞こえていません。

 しかし、私はルメとは意思が通じていると感じています。もちろんあらゆる癖がわかっていて、たとえばトイレの前のしぐさや、トイレをするための好きな場所も全部知っています。声の具合で空腹度が分かります。好きな食べ物、苦手な食べ物を知っています。

 焼き芋が大好きで、私が焼いた焼き芋をとても喜びます。喜んでいることは完全にこちらに伝わってきます。

 ルメが日本語で何かを論理的に言うわけではありませんので、感覚だけでコミュニケーションが成立しています。これは曖昧な話だと思う方がいるでしょう。しかしかなり強いきずなで、ルメとつながっています。ルメは私を母親のように思っています。いつも私にくっついています。離れることを嫌がります。

 これは人間の話ですが、母親が生まれて間もない赤ん坊と話すとき、赤ん坊がはっきり言葉で自分の気持ちを説明することはありません。しかし母親は赤ん坊の気持ちを理解し、空腹やおむつの状態なども敏感に感じ取ります。それはあいまいな話ですが、着実に「つながっている」ということが言えるのではないでしょうか。

 わかりにくい比喩を用いましたが、龍神様に関しても、こういう曖昧な感覚でつながっているように思います。

 近くに住んでいて、とにかく長いお付き合いですので、そうなるのです。歳月というものは霊感に代わる働きをします。

 参拝すると、まずお社のたたずまいや、オーラを感じとります。毎日、それは変わります。空を流れる龍雲や、カミシデの動きや、太陽の光の様子、木々のざわめきや鳥たちの声、あるいは境内の枝にやってくるカワセミの顔などからも、伝わってくるものを感じています。

 私は今まで剣道や太極拳や空手をやってきたため、気を感じる感覚が身についています。そういう経歴も関係しているのかもしれません。

 下に挙げる写真は、いずれも、2月17日に撮影したものです。

 合掌。

 

  

 

 

  

 

 

  

 

 

  

 

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