ニコラウス・コペルニクス | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  ニコラウス・コペルニクス

 

 私の歌集『ウーシャントンクー』から、歌を引用します。

 

 

      ニコラウス・コペルニクス

 

付和雷同の世にありてつひに地がうごき()めたるは永きときの果てなり

 

地動説上梓と同時に逝きにけり黒髪黒き眼のニコラウス

 

気の触れたる聖職者つひに火あぶりを逃れて天球の回転()まむ

 

地が動くと言つて有罪判決を受けしひとあまた 陽は燃えてをり

 

陽がしづみのぼる龍神池めぐり凍えてあゆむまだらのルメと

 

物自体には届かぬ認識 カントにも配慮が足りぬと思ふことあり

 

コペルニクス的転回といへばコペルニクスが変はつたやうに思ふひとをり

 

張りめぐらされた神経がくろぐろと燃えてゐる冬の桜の梢こそ花

 

 

 ニコラウス・コペルニクス(1473年2月19日 - 1543年5月24日)は、ポーランド出身の天文学者です。1542年、コペルニクスの主著となる『天球の回転について』の草稿がやっと完成しました。ここでコペルニクスは地動説を唱えています。回るのは地球自身であり、天ではないということです。

 1542年11月にコペルニクスは脳卒中で倒れて、本の校正刷りがコペルニクスの死の当日に届いたといいます。それは1543年5月24日で、コペルニクスは70歳でこの世を去りました。したがって、コペルニクスは、地動説を唱えることによる異端審問裁判などを受けずに済んだのです。

 その当時は地球が動いているという著書の内容がよく理解されておらず、それが『聖書』に反するという発想もなく、教会側が反発をして世の中にガリレオのような受難が生まれるのはまだまだ先の話でした。

 ドイツの哲学者、カントの『純粋理性批判』第二版の序文に、コペルニクス的転回という表現が見えます。発想を根本的に変えることによって、ものごとの新しい局面を切り開くことのたとえだとされています。コペルニクスが天動説を捨てて地動説を唱えたからだと言われます。彼自身が180度考え方を変えたということでしょう。さまざまな書物で、そう説明されています。

 しかしコペルニクスは、まず聖職者として、また医師として多忙な日々を送っており、その中で天文学を学び、天体観測を始めています。そして早い時期から太陽中心説(地動説)を唱えています。彼が天文学に打ち込んで、ある時発想を根本的に変えたというには、その痕跡が乏しいのです。彼自身が考えを変えたり、棄教したり、転回をしたというのは、ちょっと違うのではないでしょうか。

 よく知られていますが、「物自体」はカントの哲学的概念です。我々の認識は、物自体には届きません。それは仕方のないことです。

 転回というカントの表現も、コペルニクスの実態にうまく届いていないように見えます。

 

  

 

 

  

 

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