表現をめぐる思索
大学で私の授業を受けているみなさん、日置俊次論を書いているみなさんにお知らせします。
私の表現に対する考え方については、このアメーバブログでたくさんの記事を載せていますので、それを参照してください。
4月には特に多くの記事を書いています。
4月初めに学生の皆さんに向けて書いた次の記事は、重要ですので、必ず読んでおくようにしてください。
学生のみなさんへ (1) 作者は孤独である(04月02日 11:50)
学生のみなさんへ (2) 痛みの表現として文学作品を見る(04月02日 12:01)
学生のみなさんへ (3) まず痛みを感じよう(04月02日 12:15)
学生のみなさんへ (4)痛みや悲しみをどう読み取るのか(04月02日 13:08)
学生のみなさんへ (5) 表現を磨き上げる(04月02日 13:18)
学生のみなさんへ (6) それは痛みや悲しみを隠すこと(04月02日 13:24)
羽生結弦さんの言葉(04月04日 09:47)
羽生結弦さんと表現(04月04日 10:48)
ほかにもたくさんの記事があります。捜してみましょう。
カワセミの写真です。都心に近いところでもいつも出逢えます。手持ちのコンパクトカメラで撮りました。三脚は使いません。このブログは、芥川の肖像写真などを除いて、私の撮影した写真を使用しています。©2022 SHUNJI HIOKI
掲載しているさまざまな写真にも意味があります。分析上必要な場合、論文に張り付けることを許可します。
