鈴プーチンへのメール 2026・6・6 あなたはすべての罪を認めました

 

 みなさま、お元気ですか。あっというまに今年も6月です。大変忙しい毎日ですが、今日も重要な記事を掲載します。

 鎌倉にある出版社、「さぎかぜ書房」(仮名)が、現在もよくないことを繰り返しているようです。社員(社長)は「鈴プーチン」(仮名)だけです。被害者から訴えられた裁判(横浜地裁)で、鈴プーチンは敗訴しています。

 私も被害にあったのですが、鈴プーチンは、無視を続けています。私が真実を指摘するので、鈴プーチンは反論できません。3年11か月も無視するというのは、これは暴力と同じです。そのやり方は、人をだまして、無視を続けて、ほとぼりが冷めるのをただ待つだけという手法のようです。

 鈴プーチンはコロナ給付金詐欺など、悪いことを繰り返してきました。

 神奈川県警は何をしているのでしょうか。鎌倉警察署には、捜査をしてくださいますようお願いします。

 以下は本日、私が鈴プーチンに送ったメールです。3年11か月前、弁護士に依頼したからすべて弁護士が対応すると彼は言いましたが、弁護士の影もかたちも見えません。何度聞いても知らんふりで、無視の連続です。もうだますのはやめてください。早く借金を返してください。私の時間と労力を返してください。私の本も返してください。いつまで無視するつもりですか。

 

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差出人: HIOKI SHUNJI

送信: 2026 年 6 月 6 日 (土曜日) 3:19

宛先: 鈴プーチン
CC: さぎかぜ書房 

件名: 鈴プーチン様  2026・6・6

 

鈴プーチン様

 

 もう6月です。あなたから返信がないまま、3年11か月が過ぎています。

 あなたは私に嘘をつき続けた末に、無視を始めました。

 あなたには釈明をする機会がありましたが、無視を続けています。

 あなたはすべての罪を認めたことになります。

 これまであなたに奪われた貴重な時間と労力は膨大なものになります。

 至急、これまでの損害を賠償してください。

 返信の締め切りは6月8日正午です。

 

 日置俊次

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 日置俊次氏 鎌倉の出版社問題   

 私は責任をもって、証拠に基づき、誠実にブログを書いています。日置俊次

 

 私はすべて証拠に基づいて発信しています。これまでたくさんの記事を書いて、このブログに正直にご報告しています。

 

  鎌倉大仏の仏像

 

 原稿の出版を考えている人は、なるべく出版社の情報を集めることが必要です。出版界には深い闇があり、嘘やよくない行いが横行しているようです。

 

 

下の記事もご覧下さい。

 

鈴プーチンへのメール 2026・5・27 損害を賠償してください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・5・2 いつまで無視するつもりですか | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・4・12 どこまで人を騙すのですか 貴重な時間を返してください  | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・3・31 あなたが依頼した弁護士はどこにいるのですか  | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・3・29 借金は毎日増えています | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・3・16 もうだますのはやめてください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・3・11 至急返信してください さぎかぜ書房のサギ | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・3・3 犯罪行為を謝罪してください 借金を支払ってください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・2・16 横暴な無視が続いています 返事をしてください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・2・7 私の作品を返してください 鎌倉の詐欺出版社 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・1・28 私はあなたの言い分を聞こうとしてきました  | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・1・25 無視を続ければ借金は増えるだけです | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2026・1・19 返信がないのは罪を認めているから 鎌倉の出版社 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025・12・29 永遠に無視する気ですか 今年ももう終わってしまいます | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025・12・18 早く弁償してください 無視をやめてください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025・12・6 3年半の無視を謝罪してください 被害を弁償してください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 25・11・30 いつまで人に苦しみを与えるのですか | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025・11・6 早く連絡してください 詐欺出版社の無視が続いています | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025・10・24 非道な行いはもうやめて、早く弁償してください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴ブーチンへのメール 2025・10・4 毎日被害が増えています 補償額も増えていきます | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

詐欺出版の鈴プーチンに対するメール 9月25日 3年以上無視が続いています | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 9・4 3年以上無視が続いています | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025年8月22日 自分が同じことをされてもいいのですね | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 8・7 謝罪してください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 7・27 借金を返してください | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025・7・17 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

鈴プーチンへのメール 2025・7・5 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

俳句作品としての議論 鎌倉の詐欺師といえば鈴プーチン 有季か無季か | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

はるかぜ書房のご紹介 鎌倉の出版社 鎌倉の〇〇といえば  | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

 

水辺で佇むサギ

 

鎌倉の詐欺師といえば鈴プーチン

 

はるかぜという名のサギにご注意を

 

気をつけようひくとしつこいはるかぜは

 

 

みなさまに幸運や喜びがやってきますように。

   いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。

 

  足を引っ張るのは誰か 被害者という妄想物語

 

 みなさま、お元気ですか。

 釣りの目的のためにブラックバスが無断放流され、その土地の生態系が破壊されることについて、私はこれまで何度か書いてきました。

 無断放流は違法です。日本のあちこちで、明らかな被害が続いています。拘禁刑などの罰則も定められており、犯罪行為となる可能性が高いです。これは特別な意見ではなく、社会のルールとして共有されている常識だと私は思っていました。

 ところが、その文章を読んで激怒し、私に対して根拠のない中傷を始めた人がいます。その主張があまりにも異常なので、今日は少し考えてみたいと思います。おそらく内容だけを見れば、笑い話のレベルの話だと思います。

 その人を仮にA氏としておきます。

 A氏はバカとかマヌケとかアホといった言葉を並べ、奇妙な理屈で作り話をして、私をくりかえし罵倒しました。そして「猿が自分の足を引っ張っている」といった話をブログ等で書いています。その根拠は何なのでしょうか。

 かなり以前、A氏は、占い師に相談した際、「あなたの足を引っ張っている人がいる」と告げられたそうです。そして私の文章を読んだ結果、その文章がそうなのだと確信したということのようです。

 まず確認しておきたいのは、私の文章は一般論としてブラックバスの違法放流を批判したものであり、個人を指定したものではありません。会ったこともないA氏が何をしているのか、私は知りようがありません。

 それにもかかわらず、A氏は自分への攻撃だと考え、「猿に足を引っ張られた」と主張するのです。完全な妄想であり濡れ衣ですが、この妄想自体は、興味深いものです。

 違法行為を批判する言葉によって自分が妨害されると感じるなら、その人自身がその行為と結び付いているという告白になるのではないでしょうか。

 私は一度も、誰の邪魔もしていません。

 仮にA氏が違法放流に関与しているのであれば、A氏が不満を抱いている相手は私ではなく、ルールの存在であり、違法行為を認めない社会の良識や法秩序であり、裁判所や警察組織なのでしょう。なぜ私に文句を言うのでしょうか。

 次に、占い師の言葉について考えてみます。

 私がブログを書くはるか以前から、占い師がその内容を予言していたのでしょうか。もちろん、そのような話ではありません。いずれにしても占い師は、自分の言ったことに責任を取りません。

 「あなたの足を引っ張る人がいる」という言葉はどうとでも解釈ができる、極めて抽象的なものです。聞いた人は後になって自分の都合のよい対象を当てはめることができます。

 実際、この種の言葉は占いの世界に限らず広く用いられている定番のフレーズです。私の経験では、マッサージ師や鍼灸師も用います。しかし、ここでは占いに話を絞りましょう。

 ある占い師は、自身の経験として次のような話を紹介していました。

 彼はまず客に向かって、

「これまであなたは人のために尽くして苦労してきた」

 と言うのです。

 多くの人は、当たったと驚いた顔をします。

 続いて、彼は

「それなのにいままで十分に報われなかった」

 と言うのです。

 すると、多くの人は「また当たった」というのだそうです。

 ここまで信頼を得ることができれば、その後の言葉も、たいてい受け入れてもらえるようになるそうです。これで、あたる占い師だと評判になるそうです。これが売れるコツだそうです。

 人は誰でも、自分が正当に評価されていないと感じる瞬間があります。また、自分の失敗や停滞を他人のせいにしたくなることもあります。

 その心理に寄り添う形で、

「あなたの邪魔をしている人がいる」

「あなたの足を引っ張っている人がいる」

「あなたは被害者だ」

 という物語が語られるのです。

 それはあくまで占い師のテクニックとしての常套文句であり、違法行為を正当化する根拠にはなりません。そのぐらいのことは、ある程度年齢が重なるとだれでも知っているものです。しかし、そんな事実すら知らないというタイプのひとも、この世にはいるわけです。

 繰り返しますが、私はただ、違法放流はしてはいけないと述べているだけです。多くの人が被害をこうむり、多くの自治体があまりにも巨額の駆除費を支出しています。

 どれほど威嚇されようと、私はその点について意見を変えるつもりはありません。違法行為はしてはいけないのです。

 そして、その主張に激しく反発し、自分が被害者であるかのような妄想を作り上げることは、問題の解決にはなりません。むしろ、自らの後ろめたさと、世間知らずの実情を、周囲に示してしまうだけではないでしょうか。

 問題の人物にそれが伝わればよいのですが、これまでの言動を見るかぎり、残念ながら、それはほとんど不可能であるようにも思われます。

 付け加えるならば、根拠のない中傷や人格攻撃、人権侵害にあたる行為もまた、犯罪行為であり、法的責任を問われる可能性があります。

 知らなかったでは済まされないことは、世の中に少なくありません。

 違法放流も人権侵害も同じです。

 例えば朝の通学路で車が赤信号を無視して突っ込んだらどうなるでしょうか。その運転手は、自分が釣りに行くので急いでいたというつもりでしょう。釣りのためなら何でも許されるというのでしょう。しかしこれは、「知らなかった」で済む話でしょうか。この車は知らなかったから被害者なのでしょうか。

 ルールを守るべきだという当たり前の話が、ふつうに当たり前のこととして受け止められる社会であってほしいと思います。

 みなさまはどうお考えになりますか。


 

 

皆様のご健康をお祈りいたします。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

  「かりん」6月号の短歌 公園のゆづりはの木——存在論的植物詠

 

 みなさま、お元気ですか。「かりん」6月号から、私の短歌を引用して掲載します。

 

   公園のゆづりはの木      日置俊次

 

ゆづりはのくれなゐの茎の葉腋に花芽の赭くひかる二月よ

効率など度外視したる広き葉はゆづりはの冬を生きる意志なり

人の手のとどく高さにゆづりはは葉裏を白く鎮めをるなり

われの目の真ん前にひらくゆづりはの影揺れやまず黙したるまま

冬を越す緑の厚さこの靭さひそかに抱く毒を燃やして

花弁なき裸の花は青黒き実をむすばむと毒を産むなり

中国になきゆゑ漢方に記載なしゆづりはの毒の実は毒のまま

たれ一人見返りもせぬゆづりはのしづけさを今朝もひとり味はふ

 

 この連作は、植物を人間の感情の鏡として用いる通俗的な擬人化詠から、一線を画した世界を展開しています。作者の視線は、ユズリハの生存原理そのものへと深く沈降し、その暗部において初めて人間存在と接続するという、逆説的な構造を持っています。現代短歌における植物詠として見ても、こうした一貫した存在論的思想を内包した連作は、あまり見当たらないのではないかと思われます。

 連作の核心をなすのは「毒」という語の戦略的な配置です。ユズリハは冬の間、緑の厚い葉に毒素を蓄えて生命を維持します。花が美を競うために咲くのではなく、実を結ぶために毒を生成する——その苛烈な生存の論理を、作者は一切の感傷なしに凝視します。「冬を越す緑の厚さこの靭さひそかに抱く毒を燃やして」という一首において、「靭さ」と「毒」は対立せず、むしろ「毒」こそが「靭さ」の本質であることが静かに告げられます。生命の美しさと残酷さとは、ここでは分離不能なものとして提示されています。

 また、そこにこの植物の文化的孤絶という事実を詠み込みました。ユズリハは中国大陸に自生せず、漢方の薬物誌にも記載がありません。日本の植生に固有であり、おめでたい木として扱われていますが、毒については触れられていません。学術的・文化的体系からこぼれ落ちた存在——「中国になきゆゑ漢方に記載なしゆづりはの毒の実は毒のまま」の一首は、そのことを淡々と述べます。毒は毒のまま、名づけられず、解釈されず、ただ在るのです。この認識は、連作に単なる自然観察を超えた思想的重力を与えているでしょう。

 そしてこの連作の真の主題は、終結部において浮上します。「たれ一人見返りもせぬゆづりはのしづけさを今朝もひとり味はふ」——ここで作者とユズリハは静かに重なり合います。冬を生きること、理解されないこと、誰にも顧みられないこと、それでも在り続けること。「今朝も」という副詞の反復性が孤独の持続を示し、「味はふ」という動詞がそれを悲嘆としてではなく、一種の精神的自給として受け取っていることを示しています。共感でも諦念でもなく、孤独な存在としての自覚的な静けさ——それがこの連作の最終的な着地点です。

 読後に残るのは植物学的な知識ではないでしょう。この一連は、名もなく、毒を抱き、ひとり冬を越してゆく存在への、深く静かな共鳴を誘う歌であってほしいと思います。

 

公園のユズリハの木、冬の装い

 

皆様のご健康をお祈りいたします。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

  初夏をひらく香り

 

 友人から、今年も手作りの梅漬けをいただきました。

 紫蘇の色と香りを深く宿したその梅は、ふつうにいえば梅干しなのでしょうが、「梅漬け」と呼ぶほうがふさわしく思えるほど、しっとりと落ち着いた深い紅をまとっています。

 包みを開くと、梅の香りがふわりと立ちのぼりました。すると台所の空気が、ふいに初夏へと傾いてゆきます。そういえば、今日は6月1日です。

 毎年いただいているはずなのに、その一粒に向き合うたび、どこか初めて出会うものを見るような心持ちになります。歳月を重ねても失われない驚きが、その梅にはあります。

 さっそく炊きたてのご飯に添えて口に含むと、塩のきりりとした味わいの奥から紫蘇の香りが静かにひらき、やわらかな果肉はゆっくりとほどけていきました。その味は、遠い初夏の日の光を呼び覚ますようでもありました。これは梅漬けというより、極上の「詩」だと思います。

 こんな宝石のように美しい梅を、今年も届けてくださったことに感謝しています。本当にありがとうございます。

 

手作り梅漬けと紫蘇の実

 

 

皆様のご健康をお祈りいたします。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

  公共空間は誰のものか——「自分だけの正義」が社会を壊すとき

 

 みなさま、お元気ですか。

 先日、フェイスブックに流れてきた一本の動画が、しばらく頭から離れませんでした。

 ある男性が、駅員から厳しく注意を受けている場面でした。理由は驚くべきものでした。電車を撮影しようとした男性は、車内の照明が映り込むのを嫌い、それを消してほしいと要求したのです。その要求を通すために——非常ボタンを押し、列車を停止させました。

 驚いたのは、その行動よりも、その後です。男性は、なぜ自分が叱られているのか、本当にわかっていない様子だったのです。

 「写真を撮りたかっただけ」「邪魔な灯りを消してほしかっただけ」——この論理は、彼の中では首尾一貫しているのでしょう。しかし電車は、彼が撮影するために走っているのではありません。通勤の会社員、通学の学生、約束の場所に急ぐものや通院する患者など、無数の日常が、あの車両の中に詰まっています。その事実が、彼の視野に入っていません。

 これは、単なる「非常識な人物」の話では終わりません。

 私は以前から、ブラックバスの違法放流について発信を続けてきました。外来魚が在来種の生態系を破壊すること、そして何よりそれが「違法行為」であることを、歴史的事実をあげていくら丁寧に説明しても、激しい反発にあいました。

 この感情的な反発や攻撃を目にすると、私は先ほどの動画の男性を思い出します。

たとえ列車が止まろうとも、自分は写真を撮る。たとえ川の生態系が壊れようとも、自分は釣りを楽しむ。

 対象は違っても、構造は同じです。「自分の目的」が視野の中心を占領したとき、その外側にある他者や環境は、急速に見えなくなります。

 写真も釣りも、本来は豊かな文化であり、それを否定するつもりはありません。

 問題は、「自分の楽しみのためなら何でも許される」という発想が、ある臨界点を超えるときの結果です。線路への立ち入り、私有地への無断侵入、撮影スポット確保のための樹木の無断伐採、通行人へのすさまじい罵倒——「撮り鉄」の世界で報じられてきたこれらの事例は、全て「美しい写真を撮りたい」という純粋な動機から始まっています。動機の純粋さが、いつしか行為そのものの正当化へとすり替わってしまいます。ブラックバスの無断放流も、多くの漁業者を苦しめ、環境を変え、各自治体が億単位の税金を費やして果てしない駆除を繰り返す結果をもたらしています。

 社会は見えないルールの総体です。河川も、鉄道も、公道も、私たちが「共有している」という合意の上に存在します。その合意を崩せば、誰も気づかないうちに、釣りができる川も、写真を撮影できる駅も失われていきます。

 ブラックバスの違法放流が良くないと指摘しただけで、私にはげしい誹謗中傷が行われた理由も、ようやく腑に落ちます。その背後には、自分の楽しみを否定されたという怒りがあったのでしょう。そのため、論理は通じず、感情的な反応と攻撃ばかりが繰り返されました。しかしそんな「怒り」は、あまりにも身勝手で、的外れです。付言すれば、ネット上の誹謗中傷や名誉棄損に対する刑事罰は、2022年6月の刑法改正により厳罰化されています。

 もちろん、ここにあげた視野の狭さや感情的な行動の危うさは、私自身を含め、誰でも大なり小なり持っているものであることは、否定しません。

 だからこそ、立ち止まって問う習慣が必要です。「この行動はルールに違反していないか、自分の外側にいる多くのひとの日常を壊していないか」と。公共空間とは、そうした想像力によって支えられている場所だと思います。そして、その想像力が失なわれたとき、社会のルールが崩れ落ちていき、少しずつ共有地が失われ、巨大な代償を払わされることでしょう。写真や釣りの喜びも消滅するでしょう。やがて普通の散歩すらできなくなるかもしれません。

 

 

 

皆様のご健康をお祈りいたします。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。