宿直明けで、職場から貰ったママチャリに乗って帰り、住んでる公団の自転車置き場に停めてたら、70過ぎくらいのお婆さんが、じーっ!!と自分の顔を見てくる。


通勤途中の梅の木


はっ?

なんだコイツは!!

っと思って、この駐輪場に自転車を停めるんじゃ無いと言う、ガンつけなのかと思って、ふざけんなよー!この団地に住んでて、駐輪場に自転車を停めて、文句言われる筋合いは無いと考え、そのお婆さんを睨み返したのだが、そのお婆さんは、それでも変わらずジーっ!と自分の顔を見つめ続けている。


駐輪場の自転車。

ちなみに手前が職場から貰った7、8年物の自分のママチャリ。隣には全く同型の新品のママチャリがあった。


はんっ?なんだこのババア?

自分の睨みが弱いんじゃないかと思って、眉間に精一杯皺を寄せて、力一杯、睨んだが、それでもお婆さんは、ジーっと、自分の顔を見続けている。

俺の睨みが全く効いて無いのか?

なんて思って、ふっと、気づいた。

あ〜!!この人は、痴呆症のボケ老人なのだと。。

引っ越して間もない自分を見つけて、見た事が無い人がいるので、珍しくてただ見ていただけなのだと。。

この公団は、築52年の高度経済成長時代に建てられた団地だ。

おそらく、この公団が建った当時から住んでいる、昔からの住人なのだろう。

そんな老人に、ヤンキー見たいなメンチを切った自分がちょっと恥ずかしくなった。

メンチを切るのも、結構な熱量が必要だ。正直、疲れる。

そして、そっと睨みを止めて、もの珍しそうに、ずっーと自分の顔を見ている、お婆さんに会釈をして、自分は通り過ぎた。

そして思った。

どこまでボケてるのか分からないが、旦那さんは生きてるのだろうか?子供はいるのだろうか?誰か面倒を見る人がいるのだろうか?

そんな事が心配になった。

人は何故に痴呆になるのか?

そんな根源的な疑問がある。

生きることに執着が無くなる。

それが、ボケるボケないの分水嶺なのだろう。

生と死の狭間。

死ぬ側に片足を突っ込んでいるこのお婆さんは、緩やかに生きる現実を手放して行く。

ボケるとは、死ぬ準備だと思う。

生きることを諦めた人を留めるのは、ちょっと違う気がする。

死に向かって走り出した人を止めるのは、その人の意向を無視した愚行だ。

人は生まれて、死んでいく存在。

生まれるのも祝福、死ぬのも祝福。

そんな思いを持って、やっぱり、今日も乾杯🍻


今日はマグロで乾杯🍻


居酒屋のライト