宿直明けで、職場から貰ったママチャリに乗って帰り、住んでる公団の自転車置き場に停めてたら、70過ぎくらいのお婆さんが、じーっ!!と自分の顔を見てくる。
はっ?
なんだコイツは!!
っと思って、この駐輪場に自転車を停めるんじゃ無いと言う、ガンつけなのかと思って、ふざけんなよー!この団地に住んでて、駐輪場に自転車を停めて、文句言われる筋合いは無いと考え、そのお婆さんを睨み返したのだが、そのお婆さんは、それでも変わらずジーっ!と自分の顔を見つめ続けている。
はんっ?なんだこのババア?
自分の睨みが弱いんじゃないかと思って、眉間に精一杯皺を寄せて、力一杯、睨んだが、それでもお婆さんは、ジーっと、自分の顔を見続けている。
俺の睨みが全く効いて無いのか?
なんて思って、ふっと、気づいた。
あ〜!!この人は、痴呆症のボケ老人なのだと。。
引っ越して間もない自分を見つけて、見た事が無い人がいるので、珍しくてただ見ていただけなのだと。。
この公団は、築52年の高度経済成長時代に建てられた団地だ。
おそらく、この公団が建った当時から住んでいる、昔からの住人なのだろう。
そんな老人に、ヤンキー見たいなメンチを切った自分がちょっと恥ずかしくなった。
メンチを切るのも、結構な熱量が必要だ。正直、疲れる。
そして、そっと睨みを止めて、もの珍しそうに、ずっーと自分の顔を見ている、お婆さんに会釈をして、自分は通り過ぎた。
そして思った。
どこまでボケてるのか分からないが、旦那さんは生きてるのだろうか?子供はいるのだろうか?誰か面倒を見る人がいるのだろうか?
そんな事が心配になった。
人は何故に痴呆になるのか?
そんな根源的な疑問がある。
生きることに執着が無くなる。
それが、ボケるボケないの分水嶺なのだろう。
生と死の狭間。
死ぬ側に片足を突っ込んでいるこのお婆さんは、緩やかに生きる現実を手放して行く。
ボケるとは、死ぬ準備だと思う。
生きることを諦めた人を留めるのは、ちょっと違う気がする。
死に向かって走り出した人を止めるのは、その人の意向を無視した愚行だ。
人は生まれて、死んでいく存在。
生まれるのも祝福、死ぬのも祝福。
そんな思いを持って、やっぱり、今日も乾杯🍻