このところ京都では

なんだか雨風の日が多い☔️


レインコートの着用頻度が

かなり高まっています🧥🚲




京都に住み

働く中で

一番耳にするのは


言わはる

来はる

行かはる

怒ってはる…などの“はる”言葉。



敬語かと思いきや

身内が主語のときも使うし

対象が幼い子やペットでも使うし


使い方の法則が

いまいち理解できずに

いまだに頭が

「?」となることがあります。



入れ間違いとか

間違って物が渡された状態を

“テレコ”と言うのを

飛騨高山で初めて聞きましたが


京都はそれ以上によく聞きます。


語源はナント!歌舞伎でしたびっくり



男性はよく話す前に

「言うたら(ゆうたら)…」

とつけるのが

私にとってはとても新鮮で

なんなく古風な感じがします。


つける必要性はわかりませんが

なんとなく会話が

なめらかになるのかも?



京都と言っても

滋賀の人も多く 

言葉による見分けは全くつきません。



京都弁は使う人の性格により

“キツい”人はより“キツく”

(女性でもマジで怖いです滝汗


“はんなり”した人は

より“はんなり”感が増します。


はんなりした公家的な男性も

喋りの達者な芸人的な男性も

今まで周りにいなかったタイプで

内心驚いています。


ユニークさで思い出すのが


飛騨高山時代の職場で

よく耳にした

“かまう”という方言。


地元の人は 

方言だと知らない人も多いので

公的文章にもよく見られました。

  

数字をかまう、携帯をかまう、

パソコンをかまうなど


“ちょっかい”とは違う意味で

“変更する”、“いじる”などの意味かな?

と解釈していました。



同じように

京都の職場で気づいたことは

パソコンの

フォルダー📁などを開くとき


「ひらけてください」


と言うこと。


パソコンスキル系のYouTubeを

見ている際も

「ここをひらけて…」などと聞くと


標準語を話していても

(ああ、関西の人なんだな…)

と気づきます。


「あける」より古文的?な感じ。


ニュース番組でも

ちょっとした単語の

イントネーションに関西を感じています。



イントネーションといえば


飛騨高山にいたとき

「ありがとう」

「ありがとうございます」

のイントネーションが

真似できない独特さで


標準語で話すYouTubeなどでも

そのイントネーションに気づくと

岐阜方面の人かな?

と。



そして 


いまだに一番慣れないのは

名前のイントネーション。


これは飛騨高山時代も当初

一番慣れませんでしたが

困るのは電話で

名前が聞き取れないことにっこり


関西では

例えば

浜田の場合



名前の2音目にアクセントを置きます。


アクセントが違うと

こんなに聞き取れないものか…

と思うことがまだあります。



だから

私自身の名前を呼ばれるときも

正直…毎回毎回…

かなりの違和感を感じています。


イントネーションの違いを

脳内で変換して

即座に認識するには


やはり回数を重ねて

脳へのインプットを

反復させることなのでしょう。



方言は

人格形成や波動にも

少なからず関わりがあると

感じていて


方言や言い回しから伝わってくる

良い部分も

じんわりと感じています照れ



でもやはり

一番長く住んだ横浜や東京の言葉に

一番癒されるし、恋しいほんわか


個人的に変化に弱い脳だから

変化に気づきやすいし

慣れないものが

ストレスにもなるのでしょう。


そんな弱点を自覚しながら


たくさんの変化に

うまく適応する力も

ついてきたようにも思います。


こちらのお陰です⤵️